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金栗四三杯とは!箱根駅伝の歴代受賞者をご案内します

箱根駅伝往路ゴールの芦ノ湖
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はじめに 金栗四三杯とは

この記事では、金栗四三とはどのような人物だったのか、箱根駅伝の金栗四三杯とは何か。

そして、箱根駅伝の金栗四三杯の歴代受賞者についてご案内します。

金栗四三とは

毎年1月2日と3日の両日にかけて行われる箱根駅伝。

箱根駅伝で何より注目されるのは優勝校ですが、箱根駅伝が終った後に発表されるのが金栗四三杯の受賞者です。

金栗四三杯(かなぐりしぞうはい)の金栗四三は人名です。では、金栗四三とはどのような人物だったのでしょうか。

金栗四三は、1891年に生まれ、1983年に亡くなっています。

金栗四三を有名にしたのはマラソン。

1911年、金栗四三はマラソン大会に出場し、2時間32分45秒と当時の世界記録を約27分も縮める大記録を樹立します。

そして、1912年に開催されたストックホルムオリンピックに出場。

ストックホルムオリンピックでは、競技中に日射病で倒れてしまったため、記録を残すことはできませんでした。

しかし、金栗四三は日本人として初めてオリンピックに出場した選手として記録に残っています。

その後、1916年のベルリンオリンピックは出場権を得るも、第1次世界大戦の影響で中止。

1920年のアントワープオリンピックでは16位、1924年のパリオリンピックは途中棄権。

オリンピックのマラソン競技への出場機会は4回あったものの、金栗四三は十分な成績を残すことはできませんでした。

ただ、金栗四三は日本のマラソン競技のパイオニアであることは間違いなく、金栗四三はマラソンの父と讃えられています。

金栗四三は、日本でもマラソンなどの長距離競技の普及発展に尽力をしています。

その代表格とも言えるのが箱根駅伝で、金栗四三がオリンピックで日本人が活躍するためには選手の育成が必要という発案で、箱根駅伝が生まれています。

箱根駅伝が開催されたのは1920年のこと。

途中、戦争などにより中断されたこともありましたが、箱根駅伝は数ある駅伝大会の中でも絶大な人気を誇っています。

そして、箱根駅伝誕生のきっかけを作った金栗四三の名前を冠してつけられたのが金栗四三杯です。

 
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箱根駅伝の金栗四三杯とは

箱根駅伝往路ゴールの芦ノ湖
金栗四三杯という名前の賞が設けられているのは箱根駅伝だけではありません。

毎年8月1日に開催される、富士登山駅伝にも金栗四三杯はあります。

もっとも、富士登山駅伝の金栗四三杯は優勝チームに授与されるもの。

箱根駅伝の金栗四三杯は、最優秀選手に授与されるものという違いがあります。

箱根駅伝で、金栗四三杯が設けられたのは2004年の第80回大会からで、関東学生陸上競技連盟の選考委員会が、最優秀選手を決定する仕組みになっているとのことです。

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箱根駅伝の金栗四三杯の歴代受賞者(第1回~第10回)

それでは、箱根駅伝における金栗四三杯の歴代受賞者についてご案内します。

第1回受賞者(2004年、第80回大会)

鐘ケ江幸治選手 筑波大学

筑波大学は、本選に出場していません。

鐘ケ江幸治選手は、日本学連選抜の枠で出場をしています。

日本学連選抜はオープン参加なのでチームとしての順位はつきませんが、区間記録は公認されています。

鐘ケ江幸治選手は第5区を走り、区間賞を獲得しています。。

第2回~第4回受賞者(2005年~2007年、第81回~第83回大会)

今井正人選手 順天堂大学

順天堂大学の総合成績は、第81回大会5位、第82回大会第4位、第83回大会優勝となっています。

今井正人選手は、すべて第5区を受け持ち、すべて区間賞を獲得しています。

なお、第83回大会については後述の佐藤悠基選手も金栗四三杯を授与されています。

第4回受賞者(2007年、第83回大会)

佐藤悠基選手 東海大学

東海大学の総合成績は第3位。

佐藤悠基選手は第1区を受け持ち、区間賞を獲得しています。

第5回受賞者(2008年、84回大会)

篠藤淳選手 中央学院大学

中央学院大学の総合成績は第3位。

篠藤淳選手は第9区を受け持ち、区間賞を獲得しています。

第6回~第7回受賞者(2009年~2010年、第85回~第86回大会)

柏原竜二選手 東洋大学

東洋大学の総合成績は、第85回大会優勝、第86回大会優勝となっています。

柏原竜二選手は、両大会で第5区を受け持ち、何れも区間賞を獲得しています。

第8回受賞者(2011年、第87回大会)

村澤明伸選手 東海大学

東海大学の総合成績は第4位。

篠藤淳選手は第2区を受け持ち、区間賞を獲得しています。

第9回受賞者(2012年、第88回大会)

柏原竜二選手 東洋大学

東洋大学の総合成績は優勝。

柏原竜二選手は第5区を受け持ち、区間賞を獲得しています。

なお、箱根駅伝で金栗四三杯を3度も受賞したのは、今井正人選手(順天堂大学)と柏原竜二選手(東洋大学)の2人だけです。

第10回受賞者(2013年、第89回大会)

服部翔大選手 日本体育大学

日本体育大学の総合成績は優勝。

服部翔大選手は第5区を受け持ち、区間賞を獲得しています。

箱根駅伝の金栗四三杯の歴代受賞者(第11回~第20回)

第11回受賞者(2014年、第90回大会)

大津顕杜選手 東洋大学

東洋大学の総合成績は優勝。

大津顕杜選手は第10区を受け持ち、区間賞を獲得しています。

第12回受賞者(2015年、第91回大会)

神野大地選手 青山学院大学

青山学院大学の総合成績は優勝。

神野大地選手は第5区を受け持ち、区間賞を獲得しています。

第13回受賞者(2016年、第92回大会)

久保田和真選手 青山学院大学

青山学院大学の総合成績は優勝。

久保田和真選手は第1区を受け持ち、区間賞を獲得しています。

第14回受賞者(2017年、第93回大会)

秋山清仁選手 日本体育大学

日本体育大学の総合成績は第7位。

秋山清仁選手は第6区を受け持ち、区間賞を獲得しています。

第15回受賞者(2018年、第94回大会)

林奎介選手 青山学院大学

青山学院大学の総合成績は優勝。

林奎介選手は第7区を受け持ち、区間賞を獲得しています。

第16回受賞者(2019年、第95回大会)

小松陽平選手 東海大学

東海大学の総合成績は優勝(初優勝)。

小松陽平選手は第8区を受け持ち、区間賞(区間新記録)を獲得しています。

第17回受賞者(2020年、第96回大会)

相沢晃選手 東洋大学

東洋大学の総合成績は第10位。

相沢晃選手は第2区を受け持ち、区間賞(区間新記録)を獲得しています。

第18回受賞者(2021年、第97回大会)

イエゴン・ヴィンセント選手 東京国際大学

東京国際大学の総合成績は第10位。

イエゴン・ヴィンセント選手は第2区を受け持ち、区間賞(区間新記録)を獲得しています。

第19回受賞者(2022年、第98回大会)

受賞者は次の2人です。

吉居大和(よしいやまと)選手 中央大学

中村唯翔(なかむらゆいと)選手 青山学院大学

中央大学の総合成績は第6位。吉居大和選手は第1区を受け持ち、区間賞(区間新記録)を獲得しています。

青山学院大学の総合成績は優勝。中村唯翔選手は第9区を受け持ち、区間賞(区間新記録)を獲得しています。

第20回受賞者(2023年、第99回大会)

イエゴン・ヴィンセント選手 東京国際大学

東京国際大学の総合成績は第11位。

ヴィンセント選手は第4区を受け持ち、区間賞(区間新記録)を獲得しています。

なお、ヴィンセント選手は既に2区と3区でも区間記録を保持。また、2021年に続き2度目の金栗四三杯の受賞になります。

箱根駅伝の金栗四三杯の歴代受賞者(第21回~第30回)

第21回受賞者(2024年、第100回大会)

山本唯翔選手 城西大学

城西大学の総合成績は第3位。

山本唯翔選手は第99大会に続き、第100回大会でも第5区を担当し、2年連続で区間新記録を樹立しています。

第5区といえば山登りで、以前は第5区で顕著な成績を残した選手は「山の神」と称されていました。

2017年に第5区の距離が変更になって以降、山の神と言われる選手は生まれていませんが、山本唯翔選手は代わりに「山の妖精」と称えられています。

まとめ

この記事では、箱根駅伝金栗四三杯の第1回から第21回までの受賞選手をご紹介しました。

どうやら金栗四三杯の受賞者と、その選手が所属する大学の箱根駅伝における順位とは、直接の結びつきはないようです。

では、走る区間と金栗四三杯には何か関連はあるのでしょうか。そこで、この記事の最後に各区間ごとの受賞者を延べ人数で列記してみます。

 
第1区3人
第2区3人
第3区0人
第4区1人
第5区10人
第6区1人
第7区1人
第8区1人
第9区2人
第10区1人
第1回から第21回までのうち、第4回受賞者・第19回受賞者はそれぞれ2人いるので、金栗四三杯の受賞者は延べ23人になります。

金栗四三杯の歴代受賞者を見ると、第1区から第5区までの往路、特に注目度の高い第5区の山登りの区間を走った選手から選ばれることが多いようです。

果たして、今度の箱根駅伝で金栗四三杯を受賞するのは、どの区間を走った選手になるのでしょうか。

 
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