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日本三大(神社・仏閣) PR

日本三大神宮はどこ?伊勢神宮など5か所の候補があった

神社のイラスト
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はじめに 神宮とは

日本三大神宮についてご紹介をしていきます。

ところで、神宮とはどのような存在なのでしょうか。神社と神宮はどのような違いがあるのでしょうか。

神宮について記載されたのは日本書紀が最初のようです。

神宮という名称はとても長い歴史があるため、その考え方は時代によっても違いがあり、どうやら明確な定義はないようにも見受けられます。

もっとも一般論としては、神社は神様を祀る場所であること。

そして神宮は天皇を祀ったり、もしくは天皇家と同等の一族を祀る神社に与えられる称号であると考えられています。

つまり神社は総称であり、神宮は神社の中の一つのカテゴリーのようなものであるようです。

日本三大神宮とは

現在、日本にはいくつもの神宮がありますが、日本三大神宮として最初に示されたのは『日本書紀(にほんしょき)』、次いで『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』です。

まずはこの2つに記された神宮についてご紹介します。

日本書紀に記された日本三大神宮

日本書紀は日本最古の歴史書で、編纂されたのは奈良時代の720年。その日本書紀の中に3か所の神宮の記載があります。

もちろん、日本書紀が日本三大神宮という言葉を使っているわけではありませんが、そこで記載されているのは次の神宮になります。

① 伊勢神宮

② 石上神宮

③ 出雲大神宮(出雲大社)

延喜式神名帳に記された日本三大神宮

延喜式神名帳は、平安時代の927年に編纂されたもので、ここには当時の日本の神社の一覧が記されています。

この延喜式神名帳に神宮に記されていたのは次の3か所になります。

① 大神宮(伊勢神宮内宮)

② 鹿島神宮

③ 香取神宮

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日本三大神宮の候補は5か所?

それでは、日本書紀と延喜式神名帳で記載がされている神宮を、日本三大神宮として簡単にご紹介をしていきます。

なお、日本書紀と延喜式神名帳の両方で記載をされているのは伊勢神宮。

したがって、日本三大神宮の候補を5か所としてご案内をしていきたいと思います。

日本三大神宮1 伊勢神宮(いせじんぐう、三重県伊勢市)

伊勢神宮
伊勢神宮の正式名称は地名のつかない「神宮」。他の神宮と区別するために伊勢神宮と言われています。

このことからわかる通り、伊勢神宮は神宮の中の神宮。

伊勢神宮を日本三大神宮に入れることについての異論はほとんど聞こえてきません。

伊勢神宮は、これもいろいろな説はあるようですが、一般には内宮(ないくう)と外宮(げくう)の2つで構成されていると考えられています。

内宮

内宮の創建は垂仁天皇(すいにんてんのう)26年とされています。垂仁天皇は第11代天皇で、天皇在位26年の時に内宮は創建されています。

もっとも垂仁天皇の在位は垂仁天皇元年から垂仁天皇99年、つまり在位99年ということになります。

垂仁天皇は実在したとしても、在位99年はありえないことなので、内宮の創建は伝説の中にあるといえそうです。

内宮の主祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)です。

天照大神は、古事記や日本書紀にも登場する太陽を神格化した存在であり、皇室の祖神であり、国民の総氏神にもなっています。

外宮

外宮の創建は雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)22年とされています。

雄略天皇は第21代天皇で、その天皇在位22年の時に外宮は創建されています。

雄略天皇の在位は先代の安康天皇3年11月~雄略天皇23年8月とされています。

もっとも先代の安康天皇は安康天皇3年8月に亡くなっているので、雄略天皇の在位期間は23年と考えられます。

外宮の主祭神は豊受大神(とようけびめ)です。

豊受大神は古事記に登場する女神で、天照大神の食事を司る役割を担っており、衣食住の神としても知られています。

日本三大神宮2 石上神宮(いそのかみじんぐう、奈良県天理市)

石上神宮は日本書紀の中でも最古の神宮とされています。

創建は崇神天皇(すじんてんのう)7年とされています。

崇神天皇は第10代天皇で、在位は崇神天皇元年~崇神天皇68年、在位期間68年になります。

伊勢神宮内宮と同じく、当時で在位期間68年というのは考えにくいところですが、一つ分かるのは伝承とはいえ石上神宮の創建は第10代天皇によって行われたということ。

伊勢神宮内宮の創建は第11代天皇なので、日本書紀の中で最古の神宮とされているのは頷けるところです。

石上神宮の主祭神は布都御魂(ふつのみたま)です。

布都御魂は日本神話の中に現れる霊剣で、伝説の中で初代天皇とされる神武天皇の元にもたらされた剣と言われています。

神武天皇は霊剣である布都御魂を用いて大和を成立させたといわれています。

布都御魂は、天皇家と深い関わりがあり巨大豪族として一時代を築いた物部氏により、石上神宮に移され主祭神になったといわれています。

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日本三大神宮3 出雲大神宮(出雲大社)

日本三大神宮のことを調べていてもっとも難しかったのが出雲大神宮です。

その理由は、出雲大神宮とされるのが2か所あるためです。

一つは、京都府亀岡市にある出雲大神宮。もう一つは、島根県出雲市にある出雲大社です。

この2つの神社は現在では別法人です。

ただ、元々は出雲大社があって、それを勧請(かんじょう)して出雲大神宮が創建されたという意見もあれば、逆に出雲大神宮の勧請により出雲大社が創建されたという説もあります。

要は、古事記で記された出雲大神宮は亀岡市の出雲大神宮なのか、出雲市の出雲大社なのかがはっきりとしないということです。

もっとも、日本書紀が編纂されたのは奈良時代のこと。

出雲大神宮も出雲大社もすでにあったものと思われますが、出雲大社は古来より杵築大社(きずきたいしゃ)と称されていて、出雲大社に改めたのは明治時代に入ってからと言われています。

もしかしたら出雲神宮が杵築大社になり、さらに明治になり出雲大社になった。

そんな可能性がないわけではありませんが、日本書紀が編纂された時代、現在の出雲大社は出雲大神宮ではなかったようにも思われます。

客観的な証拠を見つけられたわけではありませんが、この記事では京都府亀岡市にある出雲大神宮を日本三大神宮の一つとして考えていきたいと思います。

出雲大神宮(いずもだいじんぐう、京都府亀岡市)

出雲大神宮の創建は709年と伝えられています。

伊勢神宮や石上神宮よりは歴史的には新しい創建ですが、創建は日本書紀編纂の直前。

場所は朝廷にほど近い京都。

創建されたばかりで、当時の都の奈良からも近い場所にあった。

そんな新鮮さが日本書紀における日本三大神宮の由来になったのかもしれません。

出雲大神宮の主祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)と三穂津姫命(みほつひめのみこと)です。

大国主命は、神話上の神で日本書紀や古事記に登場をしています。

大国主命は古来より国土を守っていた土着の神である国津神(くにつかみ)の代表ともいわれています。

また、三穂津姫命は大国主神の后であるという説があります。

神話の世界の話なので色々な説がありますが、大国主命は後の天皇家とも深い関わり合いがあるようです。

なお、出雲大神宮は今回ご紹介する5つの神宮のうち、唯一、神社庁に属していない「単立」で存在する神社です。
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日本三大神宮4 鹿島神宮(かしまじんぐう、茨城県鹿嶋市)

鹿島神宮
鹿島神宮の創建は神武天皇(じんむてんのう)元年とされています。

神武天皇は初代天皇で、在位は神武天皇元年~神武天皇76年、在位期間76年になります。

伊勢神宮内宮・石上神宮と同じく、当時で在位期間76年というのは考えにくいところですが、一つ分かるのは伝承とはいえ鹿島神宮の創建は初代天皇によって行われたということ。

仮にこのことが真実だとすれば、鹿島神宮は日本書紀に記された日本三大神宮よりもさらに古くに創建されたことになります。

鹿島神宮の主祭神は武甕槌(たけみかづち)で日本神話の中に現れる神です。

神武天皇は日向国高千穂から東に向かい大和国で即位をします。

この過程を神武東征と言いますが、武甕槌はこの時に神武天皇に神剣を授けた。

このような伝承があるようです。

日本三大神宮5 香取神宮(かとりじんぐう、千葉県香取市)

香取神宮
香取神宮の創建は神武天皇(じんむてんのう)18年とされています。

鹿島神宮と同じく創建は神武天皇。

創建は鹿島神宮より少し後であるものの、香取神宮も日本書紀に記された日本三大神宮よりもさらに古くに創建されたことになります。

香取神宮の主祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)で日本神話の中に現れる神です。

ところで、経津主神は前述の石上神宮の主祭神である布都御魂と同一の神様であるといわれています。

また、鹿島神宮の主祭神である武甕槌が神武天皇に剣を授けたように、石上神宮の主祭神である布都御魂も神武天皇に剣を授けています。

要は、神武天皇に剣を授けた神様が、鹿島神宮と香取神宮にそれぞれ祀られていることになります。

実際、鹿島神宮と香取神宮は一対で見られることが多いようです。

その理由としては、いずれの神様も神武天皇に剣を授けて、国の成立に寄与をしていること。

また、朝廷から見て鹿島神宮と香取神宮のある場所は、それより以北の敵に対抗するための重要な場所。

その重要な場所に朝廷にとっての軍神を祀ることで、朝廷の権威を見せつけて北方への抑えとしたとも考えられます。

さいごに

この記事では日本三大神宮についてご紹介をしてきました。

日本三大神宮に明確な定義があるわけではありません。

ここでは日本書紀と延喜式神名帳、古来より神宮と紹介されている5か所を日本三大神宮としてご紹介をしてきました。

日本書紀よりも編纂の時代がより新しい延喜式神名帳に記載された神宮を日本三大神宮としてとらえることが多いようです。

しかし日本三大神宮に定義はありません。

そのため今回ご紹介した5つの神宮ではなく、他の神宮を日本三大神宮に挙げる人も見受けられます。

その中で、最もよく聞かれるのは熱田神宮(あつたじんぐう、名古屋市熱田区)。

熱田神宮は第12代景行天皇43年の創建と伝えられているので、相当に古い神宮であることがわかります。

熱田神宮を日本三大神宮から外す根拠は何もありませんが、この記事では日本書紀と延喜式神名帳で挙げられた5つの神宮を日本三大神宮の候補としてご紹介させていただきました。

ところで、神宮という名称を有する神社は明治以降に増えたとされています。

ただし、明治時代から太平洋戦争終結までは神宮を名乗るには勅許が必要でした。

太平洋戦争が終わるまで、神社は国家管理されていたことに由来をしています。

戦後は国家管理を離れて神社は神社本庁が統括することになりました。

もっとも庁という名前がついても神社本庁はあくまでも民間の宗教法人という位置づけ。

そのため神社本庁に属さない神社もあり、そうした神社が神宮と名乗ることも任意とされています。

この記事の最初の方で、神宮は天皇を祀ったり、もしくは天皇家と同等の一族を祀る神社に与えられる称号と書きましたが、現在は任意なので将来はこの定義も変わっていく可能性があるのかもしれないですね。
 
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