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箱根駅伝の山の神
新年の大イベント。それが1月2日と3日の両日で行われる箱根駅伝です。
また、その箱根駅伝のレースの中でもとりわけ注目を浴びるのが「山の神」です。
この記事では山の神とは何なのか。
そして、山の神と言われた歴代選手を簡単にご紹介します。
箱根駅伝とは
箱根駅伝は、東京大手町から箱根の芦ノ湖まで走る往復の駅伝競走です。往路も復路も5区間で構成され、合計10区間を10人の選手がタスキをつないでゴールを目指します。箱根駅伝の正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」とあるとおり、箱根駅伝は大学対抗の競走大会になります。
出場チームは前年の箱根駅伝で上位に入ったチームが翌年のシード校になります。また、それ以外は箱根駅伝の前の10月頃に行われる予選会で上位に入ったチームが出場権をえます。
出場チームは年ごとに変動することもありますので必ずしも一定ではありません。
ちなみに2016年(平成28年)の1月2日と3日に行われる「第92回箱根駅伝」の出場は、シード校10校、予選会通過校10校、そしてオープン参加の関東学生連合チームの合計21校になります。
箱根駅伝の何よりの特徴はその高低差。箱根駅伝は片道で約107キロの距離を走ります。第1区から第4区までは、若干の標高差はあるとはいっても、厳しい上り坂や下り坂が延々と続くことはありません。
ところが、第5区は小田原中継所から往路ゴールの芦ノ湖までの距離が概ね23キロ。そして、この行程の中での標高差が約860m。
第5区の選手は小田原中継所から芦ノ湖のゴールまでまさに駆け上がります。そして、多くの選手が第5区で苦労をしますが、その中にあって韋駄天のごとく箱根の厳しい登りを駆け上がっていく選手がいます。
勢いの強さから、その選手をいつしか「山の神」と称するようになった。これが箱根駅伝の山の神になります。
したがって、第5区を走る選手がすべて山の神と言われるわけではありません。第5区の中でもとりわけ優秀な成績を残し、かつ人々の脳裏に強く印象付けられた選手だけが「山の神」と讃えられます。
すでに箱根駅伝は90回以上の歴史を誇ります。山の神という呼称そのものが近年使われ始めたということもありますが、箱根駅伝で山の神と言われた歴代選手はたった3人。
それでは、山の神と言われた歴代3選手を簡単に振り返ってみたいと思います。
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山の神歴代選手その1 今井正人選手
箱根駅伝で最初に山の神と言われたのは、順天堂大学の今井正人選手です。今井正人選手は2004年から2007年まで箱根駅伝には4回出場、1年から4年まですべて箱根駅伝に出場したことになります。
今井正人選手が第5区を走るようになったのは2年生から。2年生の時には、5区では史上最多となる11人抜きを達成し、区間新の記録を残しています。
その後、第5区の区間距離が変更となったため、この記録を破る選手はいなくなっています。(順天堂大学は往路4位、総合5位)
3年生の時には、第6位でタスキを受け継いだものの5人抜き。順天堂大学は往路を優勝しています。(順天堂大学は往路優勝、総合4位)
最終4年生の時も第5区で出場。第5位でタスキを受け継いだものの、やはりトップでゴールをしています。
この年の順天堂大学は往路だけでなく総合でも優勝。また、最終学年でも第5区を走った今井正人選手は、3年連続で区間賞を達成して初代「山の神」と讃えられています。(順天堂大学は往路優勝、総合1位)
山の神歴代選手その2 柏原竜二選手
歴代選手の2人目は東洋大学の柏原竜二選手です。柏原竜二選手は順天堂大学の今井正人選手が卒業した直後の2008年から2011年まで箱根駅伝は4回出場しています。この点は今井正人選手と同じですが、今井正人選手と異なるのは柏原竜二選手は4回ともすべて第5区を受け持った点です。
1年生の時には、8人抜きで東洋大学に往路優勝をもたらすとともに、前年の今井正人選手の記録を47秒も更新する区間新を達成しています。(東洋大学は往路優勝、総合1位)
2年生の時には、6人抜きで東洋大学に往路優勝をもたらすとともに、前年の自らの記録を10秒短縮する区間新を達成しています。(東洋大学は往路優勝、総合1位、2年連続)
3年生の時には、3位でタスキを受け取るもゴールはトップで切っています。なお、この年は体調不良のためか前年の記録よりも45秒遅れてゴールをしています。(東洋大学は往路優勝、総合2位)
4年生の時には、トップでタスキを受け取りそのままゴール。2年生の時に作った自らの区間新の記録も29秒上回る新たな区間新を樹立しています。(東洋大学は往路優勝、総合1位)
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山の神歴代選手その3 神野大地選手
歴代選手の3人目は青山学院大学の神野大地選手です。神野大地選手は2012年に青山学院大学に入学。山の神歴代選手の中でも、前の2人は4年連続して箱根駅伝に出場したのに対して、神野大地選手は1年生の時には箱根駅伝には出場していません。
また、2年生の時には箱根駅伝のいわゆる「花の2区」を受け持ったため第5区には出場していません。
神野大地選手が第5区を受け持ったのは3年生のたった1回。しかし、3年生時の第91回箱根駅伝(2015年1月2日~3日)の走りがあまりにも強烈であったため、歴代3人目の山の神として注目をされています。
3年生で初めて第5区を任された神野大地選手はトップと46秒差の第2位でタスキを受け取ります。そして、優勝候補の筆頭と目されていた駒澤大学の選手に追いつくだけでなく、さらに差を広げて芦ノ湖のゴールでは逆に4分59秒の大差をつけてゴール。
その勢いのまま青山大学は往路だけでなく復路も優勝。大学にとって初めての箱根駅伝優勝をもたらします。
神野大地選手の実績は、それまで山の神と言われた歴代選手、今井正人選手や柏原竜二選手には及びません。しかし、たった1回とはいえ第5区での神野大地選手の走りはあまりにも強烈で記録だけでなく記憶にも残っています。
もしかしたら神野大地選手は遅咲きの選手なのかもしれません。
この記事は、神野大地選手が4年生として箱根駅伝を走る前の時期に書いています。そのため、神野大地選手の4年時の箱根駅伝の成績はもちろんわかりませんが、期待をしたいところです。
さいごに
毎年、年頭の一大イベント。それが箱根駅伝です。箱根駅伝は往路の優勝校、復路の優勝校。そして総合の優勝校。このあたりが一番注目されています。
しかし、箱根駅伝は10人の努力の結晶でもあります。大学対抗という側面だけでなく、選手個々人の走りも当然に注目をされています。
箱根駅伝でとりわけ有名な区間は、往路の「花の2区」と「5区の山登り」です。
2016年1月2日と3日に行われる第92回箱根駅伝。青山学院大学の神野大地選手が歴代3人目となる「山の神」を継承していけるのか。あるいは、まったく異なる選手が歴代4人目の「山の神」として登場するのか。
優勝の行方もさることながら、「山の神」にも注目をしたいところです。
※ 追記 2016年1月6日
第92回箱根駅伝は2016年1月2日と3日に開催されました。その結果は、
往路優勝 青山学院 5時間25分55秒 2年連続2回目
復路優勝 青山学院 5時間27分30秒 2年連続2回目
総合優勝 青山学院 10時間53分25秒 2年連続2回目
第92回箱根駅伝では青山学院が往路・復路・総合の全部門での優勝。完全優勝を成し遂げています。さらに青山学院は第1区から最終の第10区まですべて1位で通過。なんと39年ぶりの総合完全優勝も成し遂げています。
さて、注目の第5区。青山学院は前年に引き続き神野大地選手が第5区の山登りに挑戦をします。区間の結果は、日本大学のダニエル選手に次いで第2位。
また前年の神野大地選手は第5区を1時間16分15秒で駆け抜けたのに対し、第92回大会では1時間19分17秒と自らの記録も落としています。
もっとも神野大地選手は2015年に2度の疲労骨折で満足な練習ができなかったとも言われています。そのことを考えたらむしろ上出来。
山の神はマスコミが名づけ継承しているものなので、今後の書きぶりがどうなるのかはわかりませんが、神野大地選手はまさに第3代の「山の神」。そう考えてもまったく差し支えはないように思われます。
なお、神野大地選手は4年生。今後、箱根駅伝に出場することはありません。第93回箱根駅伝以降、さらに新たな山の神が生まれるのか。今からわくわくしています。
※ 追記 2018年1月3日
2017年第93回箱根駅伝から第5区が2.4㎞短くなり20.8㎞になりました。新たな区間になってからの記録の蓄積も少ないため、当面は新たな山の神は出てこないと思われます。ちなみに、2017年と2018年の第5区の記録を確認すると
★ 2017年の第5区 大塚翔平選手(駒澤大学 1時間12分46秒)
★ 2018年の第5区 青木涼真選手(法政大学 1時間11分44秒)
ところで、箱根駅伝の第5区で「山の神」の称号を得る条件はいくつかあると思います。その条件を列記すると
① 新記録であること
② 印象に残る走りであること
③ マスコミが「山の神」という言葉を使うこと
箱根駅伝の山の神という称号は、記録にも記憶にも残る選手であり、さらにはマスコミが大きく取り上げることが条件になるようです。
第5区の距離が変更されたため、新たな山の神は生まれていないようですが、今後、4人目の山の神が生まれる可能性は十分にありそうです。
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