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丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道と満州在留日本人大送還

はじめに

丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道と満州の在留日本人大送還について、お伝えをしていきます。

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾。

これにより長らく続いていた太平洋戦争は終結をします。

終戦により国と国との交戦は無くなったものの、それですべてが終わったわけではありません。

特に実質的に日本が支配しており、現在の中国東北部にあった満州国には多くの日本人が生活をしていました。

敗戦となった瞬間から満州にいた日本人居留民は、命の危険に晒されることになります。

その日本人居留民を救ったのが、前述の丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道の3人の日本人。

この記事では、丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道の略歴。

そして、丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道がどのようにして、満州の在留日本人の命を救ったのかについて、簡単にご紹介をしていきます。

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丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道とは

それでは、丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道の3人の略歴をわかる範囲でお伝えをしていきます。

丸山邦雄とは

丸山邦雄は、1903年に長野県で生まれます。

その後、明治大学に進学、卒業後の1930年には渡米。

アメリカの複数の大学で経済学を専攻し、1938年に帰国をしています。

帰国をした丸山邦雄は、満州の昭和製鋼所に就職。

同地で終戦を迎えます。

戦後の1952年には母校である明治大学の講師や教授を歴任。

1981年、78歳で亡くなります。

新甫八朗とは

新甫八朗は、1913年に生まれます。

丸山邦雄よりも約10歳の年少になります。

新甫八朗は、芝浦工大を卒業後、建築家として満州に渡ります、

満州で建築家として成功した新甫八朗は建設会社を興し成功もしますが、終戦直前に召集。

終戦当時、新甫八朗は北朝鮮にいました。

多くの人々は南下して日本を目指すべきところ、新甫八朗は家族を救うために北上。

混乱の満州に戻っています。

なお、戦後の新甫八朗については、没年も含めてはっきりとしたことはわかりませんでした。

武蔵正道とは

武蔵正道は、1921年に生まれています。

丸山邦雄よりも約18歳の年少、新甫八朗よりも約7歳の年少になります。

武蔵正道は、新甫八朗が経営する建設会社の社員。

戦後の事績ははっきりとはわかりませんでしたが、亡くなったのは2010年。

享年は88歳または89歳と思われます。

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満州にいた日本人居留民の大送還とは


 

 

 

 

 

 

 

「はじめに」でご案内をしたとおり、日本が敗戦した瞬間から満州にいた日本人居留民は命の危険にさらされるようになりました。

現実に1日に2000人以上の人々が、異国の地で命を落としていたとも伝えられています。

このときに出会ったのが、満州にいた丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道の3人の日本人。

特に新甫八朗は北朝鮮から家族の命を守るためにわざわざ満州に戻ってきています。

まさに、この3人の出会いは奇跡とも言えるものです。

丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道がまず考えたのは、満州にいる日本人居留民を無事に日本に帰すこと。

そして、丸山邦雄には英語、新甫八朗には財力、武蔵正道には中国語と、3人それぞれに特技がありました。

丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道3人の確固たる意志、そして3人の持つ能力が、結果的に多くの日本人の命を救うことになりました。

丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道の3人がまず行ったのが日本への帰国。

日本への帰国そのものが命がけの行為でしたが、さまざまな人の協力により日本に戻った3人は、当時の首相であった吉田茂に善処を依頼します。

しかし、首相とはいっても当時の日本は占領下に置かれた状態。

吉田茂首相に、この問題を直接に解決できるだけの力はありませんでした。

そのため、丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道の3人が次に考えたのが、GHQ司令長官であるダグラス・マッカーサーとの面会。

無名の民間人が吉田茂首相に会うことなど困難。

さらにダグラス・マッカーサーに会うことなどは不可能とも思われていましたが、これも周囲の尽力により実現。

状況を知ったダグラス・マッカーサーの指示により、満州にいる日本人居留民の日本への送還が動き出すことになります。

満州にいる日本人居留民の日本への送還が始まったのは1946年5月から。

送還が行われたのは主に中国の葫芦島(ろことう)であったことから、この帰還事業を「葫芦島在留日本人大送還」とも呼んでいます。

帰還事業が概ね終了したのが1948年。

そして、日本人居留民の大送還により、満州から日本への帰国を果たしたのは約105万人。

終戦時、満州にいた日本人居留民は170万人と推計をされているので、日本に帰国を果たせなかった人も決して少ないとは言えません。

でも、丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道の3人がいなければ、日本人居留民の大送還事業は行われなかったでしょうし、仮に行われたとしても時期的にはもっと遅かったはずです。

そうした意味で、丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道の3人が命を懸けて行った行為は称賛以外の何物でもありません。

さいごに


 

 

 

 

 

丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道の3人が行った満州の在留日本人大送還については、決して多くの人に知られたものではありません。

それでも、とてつもなく立派な行為であることは疑う余地もありません。

太平洋戦争が終了して既に70年以上が経過をしていますが、こうした人たちの行為を忘れないようにしたいものです。


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