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大橋鎭子氏と花森安治氏はどんな人物なの?
この記事では、「暮らしの手帳」などの雑誌を通して関連が深い大橋鎭子と花森安治について書こうとしています。大橋鎭子と花森安治。この2人はどのような人物だったのでしょうか。簡単にご紹介をしていきたいと思います。
花森安治氏とは
花森安治(はなもりやすじ)氏のことを簡単にご紹介します。
花森安治は1948年に創刊された家庭向けの生活雑誌「暮らしの手帳」の創始者として知られています。
1948年といえば戦後間もない混乱期。記事を集めるのも、紙などの物資を集めるにも、何もかもが大変な時期。
「暮らしの手帳」の創刊までには相当の苦労があったと推察されますが、現在でも「暮らしの手帳」は隔月刊として発行をされています。
では、「暮らしの手帳」の創始者である花森安治とはどのような人物だったのでしょうか。
花森安治は1911年に生まれ、1978年に病気で亡くなります。
花森安治の履歴をごく簡単に追ってみると
1911年 | 兵庫県神戸市に生まれる。 |
1935年 | 東京帝国大学を卒業、伊東胡蝶園に入社。 |
終戦まで | 太平洋戦争に応召するも病気により除隊、終戦まで主に大政翼賛会の広告事業に携わる。 |
1946年 | 大橋鎭子とともに雑誌を創刊。 |
1948年 | 後に「暮らしの手帳」と改称する雑誌「美しい暮しの手帖」を創刊。 |
花森安治は、編集者、デザイナーなど多岐にわたる活動をしています。
その花森安治にはいくつかの逸話が残されています。その逸話の中でとりわけ有名なのは太平洋戦争時のあまりにも有名な標語「欲しがりません 勝つまでは」に関するものです。
この標語は除隊後、太平洋戦争推進のための仕事に携わった花森安治が考案したキャッチコピーと考えられていた時期がありました。
もっともこの標語は、応募されてきたものを審査して花森安治が採用をしたもの。戦後も花森安治はこの件に関しての弁明をしなかったため、しばらくの間は花森安治のキャッチコピーと誤解をされていたようです。
ただ、このあたりは難しいところで大政翼賛会に関連して仕事をしていた花森安治は、戦争推進論者であったと考えることもできます。
その観点からみると「欲しがりません 勝つまでは」は花森安治が作ったものではないとしても積極的に採用に動いていた可能性も否定はできません。
しかし、1971年に発刊された花森安治の作品「見よぼくら一銭五厘の旗」では、花森安治が二等兵のときに上官である軍曹から「貴様らの代りは一銭五厘で来る 軍馬は そうはいかんぞ」と怒鳴られたことに愕然としたと書かれています。
そして、その情感の言葉により、戦争の不条理さを思い知らされたとも語っています。
太平洋戦争時の兵隊の招集はいわゆる「赤紙」で行われていました。この赤紙の発送に要する費用が一銭五厘。一方、軍馬は軍馬として育てるのに長い時間と多大な費用がかかる。
戦場においては、人の命よりも馬の命の方がずっと大切であるというのが、この言葉の要旨になります。
除隊後、戦争を推進する大政翼賛会に関与していた事実。一方、戦後ではありますが戦争の不条理さを自らの作品で嘆いた事実。どちらが花森安治の本当の姿なのでしょうか。今となってはわかりません。
ところで、花森安治はグラフィックデザイナーとしての活動もしていましたし、亡くなる直前まで「暮らしの手帳」の表紙画は花森安治が描いていました。
現在でも花森安治の作品は人気があるようで、花森安治の作品を載せた書籍も販売をされています。
花森安治の作品は、素朴かつシンプルでありながらも、何となく心を温かくさせてくれる作品が多いようです。
私自身、絵のことはまったくの素人ですが、これからもさらに花森安治の作品は人気が高まるかもしれないですね。
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大橋鎭子氏とは
大橋鎭子(おおはししずこ)氏も花森安治とともに「暮らしの手帳」の創始者として知られています。
では、大橋鎭子とはどのような人物だったのでしょうか。大橋鎭子は1920年に生まれ、2013年に肺炎で亡くなります。
大橋鎭子の履歴をごく簡単に追ってみると
幼少時 | 東京で生まれるも父の転勤で北海道で生活。しかし、父が結核に罹患して帰京。その後、父が1930年に亡くなるまで父の看病に携わる。 |
終戦まで | 高等女学校を卒業し日本興業銀行に入行。3年で退職し日本女子大学に入学するも、父と同じく肺結核にかかり中退。療養後、1937年に創刊した「日本読書新聞」に入社、主に編集の仕事に携わる。 |
戦後 | 花森安治と出会い、「暮らしの手帳」を創刊。 |
1968年より | 「暮らしの手帳」内においてエッセイ「すてきなあなたに」を執筆。 |
1978年 | 花森安治の死により、編集長に就く。 |
1994年 | 「すてきなあなたに」が東京都文化賞を受賞。 |
2013年3月27日 | 肺炎により東京都品川区で死去。 |
さいごに
「暮らしの手帳」は戦後間もなくから現在に至るまで発行を続けている雑誌です。長い歴史の中で編集長も代わり、雑誌のスタイルも時代に合わせて変化をしていますが「暮らしの手帳」は現在でも家庭の主婦を対象に確かな地歩を築いています。
出版不況と言われて何年を経っていますが、できれば今後も発行を続けてほしい雑誌です。
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