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七夕の由来を簡単に!行事と伝説が融合した風習とは

天の川と七夕飾りのイラスト
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七夕の由来を簡単に

この記事では、七夕(たなばた)の由来を簡単にお伝えします。

七夕の行事は、奈良時代から宮中で行われ、江戸時代に民間に広がり、現在につながっているとされています。

歴史が長いだけに七夕の由来については諸説ありますが、一般的には中国伝来の伝説から発展した乞巧奠(キコウデン)の伝説と、日本の棚機津女(たなばたつめ)の風習が組み合わされてできたものと考えられています。

では、それぞれについて簡単にお伝えします。

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七夕の由来1 乞巧奠の伝説

昔、天帝(天の神さま)の娘の織姫(おりひめ)は、機織(はたおり)の上手な働き者でしたが、残念なことに縁に恵まれませんでした。

憂慮した父は、働き者で真面目な牛飼いの牽牛(けんぎゅう)と織姫を結婚させます。

しかし二人の仲が良すぎて、それぞれが仕事を怠ったため、天帝は怒り、天の川を境にして二人の仲を引き裂いてしまいます。

織姫は嘆き悲しみ、それを哀れんだ天帝は、真面目に仕事をするなら、年に一度だけカササギが飛んできて翼を広げ、天の川に翼の橋をかけさせようと約束します。

その後、牽牛は年に一度、七夕の日に天の川を渡り、織女に会いにくるようになります。

ただ、その日に雨が降ると、天の川の水嵩が増し、翼の橋がかけれらなくなってしまうともされています。

中国伝来の乞巧奠の伝説はご紹介した通りですが、織姫が1年間真面目に仕事をすれば、牽牛に会うことができる。

そして、1年間真面目に仕事をすれば、織姫の機織の技術も上達する。

乞巧奠で織姫と牽牛の伝説で、そこから女性の裁縫や手芸の上達を願う祭り(風習)に発展していきます。

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七夕の由来2 棚機津女の行事

日本では、毎年7月7日に乙女が川のほとりの小屋の中で、神様のために着物を織り、神様の降臨を待つという行事がありました。

神様の降臨を待つのは、秋の豊作を願う、あるいは人の穢れを払っていただくことを願うものとされていました。

この乙女のことを棚機女(たなばたつめ)、着物を織る道具を棚機(たなばた)と呼んでいます。

七夕の由来3 伝説と行事の融合

現在の七夕は、乞巧奠の伝説と棚機津女の行事が融合したもので、奈良時代から宮廷の貴族の間では年中行事の一つになっていたようです。

もっとも、宮中に乞巧奠という中国の伝説が入ってから、棚機津女の行事が融合したものなのか。

乞巧奠という中国の伝説と、棚機津女の行事が融合したうえで、宮中に入ったものかは定かではありません。

ただ、この行事は七夕と呼ばれ、1年に5つある節句の1つに数えられていました。

ところで、奈良時代の七夕の読み方は「しちせき」です。
読み方時期
人日じんじつ1月7日
上巳じょうし3月3日
端午たんご5月5日
七夕しちせき7月7日
重陽ちょうよう9月9日
では、「しちせき」が「たなばた」となったのはいつでしょうか。

そのあたりも定かではありませんが、棚機女(たなばたつめ)が転じて、しちせきがたなばたという呼び方になったこと。

しちせきが、たなばたと呼ばれるようになったのは、宮中行事のしちせきが民間に広まった江戸時代の頃ではないかと考えられています。

まとめ

この記事では、七夕(たなばた)の由来を簡単にお伝えしました。

七夕は長い歴史があるだけに、由来も諸説あり、絶対的な正解はわかりません。

もっとも、1年に1回だけ会える織姫と牽牛の伝説だけは、色あせることなく受け継がれていくと良いですね。

 
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