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日本三大名城の候補は5か所
この記事では、日本三大名城についてご紹介します。ところで、日本三大○○の多くがそうであるように、日本三大名城も確定したものではありません。
そのため、日本三大名城なのに候補は5か所。もしかしたら、日本三大名城の候補はもっとあるのかもしれません。
日本三大名城について調べてみると多くの人が挙げているのが姫路城。姫路城はまさに日本三大名城の一つといっても良いのかもしれません。
ただ姫路城以外は、さまざまな城が日本三大名城の候補に挙がってきています。
その城を列挙すると、名古屋城、大坂城、熊本城、松本城。日本三大名城なのに姫路城を含めれば、候補は全部で5つもあることがわかります。
そこで、この記事では日本三大名城の候補としてあげられている、5つの城の特徴などを簡単にご紹介していきます。
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日本三大名城1 姫路城
兵庫県姫路市にある姫路城は日本を代表する城郭の一つ。姫路城を日本三大名城から外そうと考えている人はむしろ少ないかもしれません。
姫路城は別名「白鷺城」と言われてます。
白鷺城と言われるようになった理由は複数あり定かではありません。ただ、姫路城の白い漆喰の壁は美しさが際立っており、そうした意味から白鷺城と呼ばれるようになった。
確定的な意見ではないものの、これが一番わかりやすいようです。
姫路城は歴史の古さ、そして城郭の規模の大きさから、主要建築物の多くが国宝や重要文化財に指定をされています。
また、姫路城はユネスコの世界遺産にも指定されてます。
姫路城が作られたのは室町時代初期にまでさかのぼるようです。もっとも、この時代の姫路城はごく小規模なものであったと考えられています。
姫路城が脚光を浴び始めたのは戦国時代の末期。
織田信長の命を受けた豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が毛利氏と戦ううえで、姫路城を拠点にしてからです。
姫路城は山陽方面の拠点となる要衝の場所。そのため江戸時代に入っても西国大名の抑えとして姫路城は重要視されてきました。
また、そうした地政学的な影響もあって姫路城は大規模に発展します。
日本の多くの城は火災などで焼けてしまい、古くからの雄姿を留めているのは少ないと言われています。
そのなかで姫路城の天守は日本に12しか残っていない現存天守の一つに数えられています。
現存天守とは江戸時代以前に建築された天守で、その姿を完全にとどめているとまでは言わないまでも、少なくとも当時の材料がまだ使われている天守のことです。
姫路城は現存天守のなかでも、修復を行いながらも建築当時の姿が概ね残されている天守。現存天守のなかでも、もっとも価値の高い現存天守と言えそうです
なお、日本三大名城の候補5つのうち、現存天守とされているのは姫路城と松本城のみになります。
日本三大名城2 名古屋城
愛知県名古屋市にある名古屋城は金の鯱で知られています。
名古屋城が最初に作られたのは今川義元の父である今川氏親の時代。
その後、織田信長が居城としていた時期もありますが、この時代の名古屋城は小規模で、しかも織田信長の天下統一と共に一時は廃城となっていました。
名古屋城が大規模になったのは江戸時代。関ヶ原の戦い後、対豊臣という観点から名古屋は要衝の地と考えられるようになりました。
そのため徳川家康の命により、いわゆる諸大名に城を作らせる「天下普請」によってできたのが名古屋城です。
名古屋は江戸時代に入っても西国大名に睨みをきかす大切な場所。そのため名古屋城に入ったのは徳川家康の第9男である徳川義直。
徳川義直の家系はいわゆる御三家。尾張徳川家は江戸時代を通じて名古屋城を居城にしています。
ところで名古屋城の天守台を築いたのは加藤清正。この時代、加藤清正と藤堂高虎は築城の名手としても知られています。
加藤清正が名古屋城築城に関わった。そんなことも名古屋城を日本三大名城の一つに押し上げる要因になったのかもしれません。
名古屋城は1945年の名古屋空襲により天守や本丸御殿が消失しています。今ある名古屋城はいわゆる復元天守で鉄筋コンクリートで作られています。
ただ、文化庁は鉄筋コンクリートの城を復元天守とは認めていません。
そうしたことも背景にあるのか、名古屋市では改めて鉄筋コンクリートではなく、木造の復元天守に作り直すことを検討しているようです。
もちろん、鉄筋コンクリートよりも木造の天守の方が趣のある事は間違いないところですが、法律の問題、費用の問題など一筋縄ではいかないようです。
本当の復元天守が見られるのはまだしばらく先のようです。
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日本三大名城3 大坂城
大阪府大阪市にある大坂城は、大坂冬の陣の後、堀を埋められてしまうまでは難攻不落の城と言われていました。
それは大坂城のある地が要害の地にあるためです。
ところで、この大坂の地に最初に目を付けた武将は織田信長であると言われています。
ただし、この地にはすでに石山本願寺があり、織田信長の天下統一を邪魔する存在にもなっていました。
そこで織田信長は石山本願寺を攻めたてますが、結果的に大坂を退去させるのに約10年。そして退去後ほどなくして織田信長は本能寺の変で倒れます。
引き続き大坂の地に着目したのは豊臣秀吉。
天下統一を目指していた豊臣秀吉は、1585年大坂の地に新たに広大な城を作ります。これが最初の大坂城で、このときの大坂城は豊臣氏滅亡まで存続します。
豊臣氏が滅亡をしたのは1615年。豊臣氏滅亡とともに豊臣秀吉が作った大坂城も破却。
城跡は埋め立てられ、その上に江戸時代の大坂城が新たに築かれます。江戸時代の大坂城が完成したのは1629年。
大坂の地は江戸幕府にとっても重要であったことから、大阪城は天領として徳川将軍自らが領主となる形態がとられていました。
大坂城が再び脚光を浴びたのは幕末。15代将軍徳川慶喜が一時期大坂城を居城としていたためです。
もっとも鳥羽伏見の戦いで幕府軍は壊滅状態。天守は既に江戸中期に焼失していましたが、他の建物もこの時期に多くが失われてしまいます。
明治時代になると大坂城のあった土地は陸軍用地となりますが、一方では公園化の計画も持ち上がり、1931年には復興天守が再建されています。
復興天守とは、当時の天守の規模やデザインなどが不確かなもの、あるいは当時の天守の様子が分かっていてもあえて違うものを作った天守で、材質も木造ではなくコンクリート製でも良いとされています。
大坂城は復興天守の一つ。特徴的なのは、豊臣時代と徳川時代の城の折衷案のようなものであったこと。
1631年の復興天守は戦争中一部の損壊はあったものの基本的には無事。
また、その後の改修工事で江戸時代の天守よりも豊臣時代の天守に近づいてはいるようですが、鉄筋コンクリート製の豊臣、徳川のどちらともいえない天守。
何れは再建の話が出てくるかもしれないですが、果たして将来はどうなるのでしょうか。
日本三大名城4 熊本城
熊本県熊本市の熊本城は中世からあった城とされています。
その後、築城の名手の加藤清正により大きく改修され、加藤氏が改易になった後は、細川氏が江戸時代を通じて城の主となっています。
明治期に入り熊本城が注目されたのは1578年の西南戦争。
熊本城には政府軍が入っていましたが、この地が一時期戦いの中心となったこともあり天守など多くの建造物が消失します。
その後、天守の再建が行われたのは1960年。できたのは名古屋城と同じく鉄筋コンクリート造の復元天守。
最上階には展望台が設けられるなど観光地として親しまれてきましたが、2016年の熊本地震で天守も一部損壊。
他の部分も含めての修復が待ち望まれています。
日本三大名城5 松本城
長野県松本市にある松本城は、安土桃山時代の頃に作られた天守がいまでも残っている名城で、天守は国宝指定されてます。
松本城は元々は深志城という名前で戦国時代の初期からありました。しかし、信濃国は小さな領主が割拠する地であり、戦乱が絶え間なく続く地でもありました。
有力大名として最初にこの地を治めたのは武田信玄ですが、その後は織田氏、豊臣氏、徳川氏と次々と有力大名が介入する土地となっています。
江戸時代に入り、こうした抗争はおさまりましたが、松本城を居城とする大名は目まぐるしく変わっていたようです。
もっとも、どの領主もその石高は概ね10万石以下。比較的小さな大名が松本城の主となっていたことがわかります。
まとめ
この記事では、日本三大名城についてご紹介してきました。日本三大名城そのものは学術的に定まったものではなく、自然に生み出されたものです。そのため、日本三大名城は確定ということでもありませんが、この記事では一般的に言われている城を日本三大名城としてご紹介をしています。
日本三大名城の候補は5つ。順不同でご紹介をすると、姫路城、名古屋城、大坂城、熊本城、松本城になります。
日本三大名城に定義があるわけではありませんが、この5つの城には天守があります。
実際のところ、天守の役割はそれほど大きくないと言われています。
天守で領主が生活をしたわけでもなければ、そこで政務を執り行っていたわけでもない。天守によっては使い道がないため物置になっていたということもあったようです。
でも役割の軽重は別として、天守のある城が日本三大名城の候補になっているのはどうやら確かなようです。
そのため天守の歴史的意義については、あまり考慮されていないようにも見受けられます。
たとえば、今回ご紹介をした城のなかでも、名古屋城、大坂城、熊本城は鉄筋コンクリート製です。
歴史的なものを日本三大名城の要素とするのであれば、日本三大名城は姫路城と松本城とあとはまったく別の他の城となります。
それでも日本三大名城の候補に入るためには天守が必要。天守の実用性の有無、材質などはさておき、天守には日本人の心に訴えかける何かがあるのかもしれないですね。
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