スポンサーリンク
目次
はじめに
日本三名橋(にほんさんめいきょう)についてご紹介をしていきます。ところで「日本三大」の多くが正式に認定されたものではなく、口コミなどが集約されてまとまったものが多いようです。
日本三名橋も同じで、公的機関などが正式に認定しているというものではありません。そのため、日本三名橋に取り上げられる橋についても、いろいろな意見があるようです。
もっとも、日本三名橋に挙げられる橋はいくつもあるわけでもなく、どうやら4つの橋に絞られてきそうです。
そこで、この記事では4つの橋の特徴などをご紹介をしていきたいと思います。
日本三名橋の4つの候補とは
まずは、日本三名橋として挙げられることが多い4つの橋の名前をご紹介します。1 日本橋 東京都
2 錦帯橋 山口県
3 眼鏡橋 長崎県
4 瀬田の唐橋 滋賀県
それでは、4つの橋の特徴を簡単にご紹介していきます。
スポンサーリンク
日本三名橋1 日本橋(にほんばし、東京都中央区)
天下分け目の戦いと言われた関ケ原の戦いは1600年。江戸幕府が始まったのが1603年。その1603年に江戸幕府により架けられたのが日本橋です。
日本橋は全国の道路網を整備するための中心として造られ、1604年には五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点になっています。
もっとも当時の日本橋は木造。
江戸の町の名物の一つにあげられるのが火事ですが、木造の家が密集する江戸の町は大規模火災が起こりやすく、日本橋も江戸時代を通して10回も火災の被害にあい、その都度、架け替えられています。
現在の石造りの橋が架けられてのは1911年。二連アーチの日本橋はすでに100年以上の歴史があります。
ところで、日本橋の景観が大きく変わったのは1963年。
1964年の東京オリンピックに合わせて首都高速道路が建設されたものの、土地買収などの時間が足りなかったため、高速道路が日本橋の真上に造られてしまいました。
長らく日本の首都を代表する橋でありながら、橋の上には無機質な高速道路。以来、日本橋の景観が台無しになるということで様々な議論が重ねられてきました。
そして、議論の結果として2020年の2回目の東京オリンピックが終了したのちに、日本橋の上の首都高速道路を、今度は川の下に設置し、日本橋から空が見上げられるようになる。
そんな計画があるようです。
なお、日本橋は1999年に国の重要文化財に指定されています。
日本三名橋2 錦帯橋(きんたいきょう、山口県岩国市)
錦川に架けられた錦帯橋の原型は1673年に遡ることができます。
それまでも同じ場所に橋はありましたが、錦川の氾濫により流失。川の氾濫にも耐えられるように設計されたのが錦帯橋です。
錦帯橋は橋台を石垣にしていることに大きな特徴があります。橋の元になる部分を石でしっかりと固めているため洪水などに強くなっています。
錦帯橋は錦川に並べられた橋台の上に五連のアーチ橋を渡しています。
アーチ橋は木造ですが、特殊な組み方をしているため、橋台だけでなく橋そのものにも強度があるといわれています。
実際、木造の橋は定期的な修復は必要であるものの、約270年間にわたりその姿を保ち続けています。
その後、1950年の台風で橋台の一部が流失するなど錦帯橋は大きな被害をこうむりますが、見事に復元し往時の姿をとどめています。
錦帯橋の美しさは約200メートルの間にかかる五連のアーチ橋だけでなく、錦帯橋周辺の景観によっても生み出されています。
春の桜、夏の緑、秋の紅葉、冬の雪景色。1年を通して美しさを感じさせてくれるのが錦帯橋の何よりの特長といえそうです。
スポンサーリンク
日本三名橋3 眼鏡橋(めがねばし、長崎県長崎市)
眼鏡橋は中島川に架かる橋で、長さは22メートル。決して長い橋ではありませんが、眼鏡橋の大きな特徴は石造りの2連のアーチ橋であることです。
中島川には他にも石造りの橋はありますが、眼鏡橋以外は単一のアーチ橋であるのに対して、眼鏡橋だけはの2連のアーチ橋。
2連のアーチは全体を眺めると眼鏡そのもの。眼鏡鏡は名前の由来がとても分かりやすい橋です。
眼鏡橋が造られたのは1634年。
当時の橋と言えば木造のはずですが、鎖国の時代にあっても唯一海外に対する門戸が開かれていた長崎。
そのため眼鏡橋も中国より来日していた僧により架けられています。
中島川は氾濫することが多く、それまでの木造の橋は氾濫のたびに流失をしていましたが、眼鏡橋が架けられてからは損壊はあってもすべてが消失することはなく現在に至っています。
眼鏡橋のある長崎市は異国情緒豊かな街として多くの観光客が訪ねる場所ですが、その中の名所の一つが眼鏡橋。今でも観光スポットの一つとして親しまれています。
なお、眼鏡橋は1960年、国の重要文化財に指定されています。
日本三名橋4 瀬田の唐橋(せたのからはし、滋賀県大津市)
瀬田の唐橋は瀬田川に架かる約230メートルの橋です。瀬田川は琵琶湖から流れる唯一の川で、下流になると宇治川、淀川と名前を変えて大阪湾につながっています。
琵琶湖は日本一大きな湖。そのため船で渡ることはできても、大人数が一度に渡ることはできません。しかし、そこから流れる瀬田川なら橋を架けることで渡ることができる。
瀬田の唐橋のある場所は、東国から京都に入るための要衝の地ということで、はっきりとはしないものの西暦200年の頃より橋が架けられていたといわれています。
ところで、瀬田の橋で有名なのは武田信玄の遺言です。京都に上り京都の地を抑えることを宿願としていた武田信玄は、夢の途中で病に倒れ亡くなります。
そのときの言葉が京都の入り口ともいえる「瀬田の橋に風林火山の旗を立てよ」というもの。
戦国時代、瀬田の橋が戦略上、とても重要な場所であったことがわかります。
さて、歴史の長い瀬田の唐橋ですが、現在の橋は1974年に竣工されたもの。これまでご紹介してきた橋の中では、歴史の浅いことがわかります。
もっとも、橋に取り付けられている擬宝珠(ぎぼし)は昔からのもの。江戸時代の擬宝珠が現在の瀬田の唐橋に取り付けられています。
なお、「唐橋」の名前は何度も架け替えが行われる中で、中国の橋の様式をモチーフにした「唐様の橋」が架けられたことから、瀬田の唐橋と言われるようになったと考えられています
さいごに
この記事では、日本三名橋と言われている4つの橋の特徴を簡単にご紹介してきました。日本三名橋は明確に定められているわけではありませんので、他に「この橋こそ日本三名橋」という意見があるかもしれません。
ただ、一般的には日本三名橋は日本橋、錦帯橋、眼鏡橋という意見が多いようです。
また、上記の3つの橋の何れかを外して代わりに瀬田の唐橋を入れるという意見も散見されたため、この記事では4つの橋を日本三名橋の候補とさせていただきました。
ところで、錦帯橋については神橋(しんきょう、栃木県日光市)、猿橋(さるはし又はえんきょう、山梨県大月市)とともに日本三大奇橋。
瀬田の唐橋については、宇治橋(うじばし、京都府宇治市)、山崎橋(やまさきばし、京都府大山崎町・八幡市)とともに日本三古橋に数えられています。
機会があれば、日本三大奇橋や日本三古橋についてもお伝えできればと考えています。
■合わせて読みたい
スポンサーリンク
スポンサーリンク