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篤姫と西郷隆盛の関係は恋仲だったのでしょうか?

篤姫と西郷隆盛が住んだ薩摩
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はじめに

この記事では、篤姫と西郷隆盛はどのような関係だったのかを探っていきたいと思います。

まず、篤姫と西郷隆盛にはいくつかの共通点があります。

それを列記すると

 

〇 篤姫と西郷隆盛は同時代を生きた

〇 篤姫も西郷隆盛も薩摩の出身だった

〇 篤姫も西郷隆盛も歴史的に有名であった

 

このような共通点から、篤姫と西郷隆盛の関係について、小説の中では恋仲と描かれることもあります。

果たして、篤姫と西郷隆盛の関係は恋仲だったと言えるのでしょうか。。

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篤姫と西郷隆盛の関係 篤姫が徳川家定の正室になるまで

篤姫と西郷隆盛が住んだ薩摩
篤姫は、1836年、薩摩藩の領主島津家の一門である島津忠剛の子として生まれています。

その後、1853年に薩摩藩主島津斉彬の養女となり、さらに1856年には公家の近衛忠煕の養女となったうえで、第13代将軍徳川家定の正室となります。

一方、西郷隆盛は1828年に薩摩藩の下級藩士である西郷吉兵衛の子として生まれています。その後、1854年頃、薩摩藩主の島津斉彬に見いだされ、江戸に赴きます。

ところで、西郷隆盛は生涯で3人の妻を迎えていますが、この当時の西郷隆盛の状況はどうだったのでしょうか。

西郷隆盛は、最初の妻である伊集院須賀と1852年に結婚をしています。しかし、西郷家の困窮や西郷隆盛が江戸へ出府したことなどが原因で、1854年に離婚をしています。

篤姫が第13代将軍徳川家定の正室になるための準備をしている頃、西郷隆盛はどうやら独身であったようです。

また、篤姫と西郷隆盛は、この頃に次のような接点を見出すことができます。

それは、島津斉彬の命を受けた西郷隆盛は、篤姫の婚姻がうまく行くように奔走したということで、具体的には西郷隆盛が篤姫の婚礼道具などを用意したと言われています。

篤姫と西郷隆盛にはこのような接点があることから、篤姫と西郷隆盛の関係は恋仲だった。

小説などでは、このときのできごとをとおして篤姫と西郷隆盛の関係を恋仲としてとらえることもあるようですが、果たしてどうでしょうか。

確かに、篤姫と西郷隆盛は同時代を生きています。

また、篤姫も西郷隆盛も薩摩藩で生きています。

さらに、篤姫が輿入れをするときの西郷隆盛は独身で、篤姫の婚礼準備のため西郷隆盛は奔走をしています。

もちろん、当時の篤姫と西郷隆盛の関係を克明に記した史料などもありません。

だから、正解がどこにあるのかは、誰にもわかりません。

確かに、篤姫と西郷隆盛の関係を恋仲として描くのは、作家としての腕の見せどころではあります。

でも、冷静に考えるとこれは相当に難しいものがあります。

その理由は、篤姫と西郷隆盛の立場の違いです。

篤姫は元々がお姫様。さらに、徳川家定の正室になるために、篤姫は島津斉彬の養女となり、近衛忠煕の養女になっています。

一方の西郷隆盛は、明治維新三傑の一人に数えられるほど著名な人物ですが、この当時は島津斉彬にようやく見いだされたばかり。薩摩藩での身分も決して高いものではありません。

お姫様と下級藩士。

身分が厳格に規定されていた時代にあって、篤姫と西郷隆盛が恋仲であったというのは、むしろ不合理なものを感じます。

前述のとおり、史料などは存在しないので100%の否定はできません。

でも、小説としては面白いけど、実際には恋仲というような関係ではなかった。

そのように考えるのが、むしろ自然のように思えます。

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篤姫と西郷隆盛の関係 幕末

篤姫が生活した江戸城
篤姫と西郷隆盛については、もう一つの接点を見出すことができます。

それは幕末です。

1868年、戊辰戦争が始まります。

薩摩藩や長州藩を中心とした官軍は、江戸に向かいます。官軍の目的は江戸城の攻撃。そして、江戸城の中には篤姫(天璋院)がいました。

江戸城が攻撃されるということは、江戸の町が灰燼に帰してしまうことを意味しています。

そのため、江戸城にいた篤姫は官軍に対して、懇願の書状を出しています。

そのときの書状の宛先一つが、西郷隆盛。

西郷隆盛はこのとき、官軍の中の中心人物の一人として司令官のような役割を担っていました。

結果的に、篤姫の出した書状などにより、江戸城は無血開城。江戸市中も火の海になることを避けることができました。

篤姫から西郷隆盛に対して書状が送られたことは間違いはないようです。

では、この段階で2人は会うことなどはあったのでしょうか。

こちらについても史料は残っていないようなので、断言することはできません。

しかし、篤姫は賊軍となった徳川家の中でも立場のある人物。

一方、西郷隆盛は官軍の中心人物。

篤姫と西郷隆盛は敵という立場であり、しかもそれぞれに重きをなす人物。

少なくとも公の立場であうことは、お互いに相当な危険があってできなかったはず。もちろん非公式に会うことについても必然性はありません。

客観的に考えたら、篤姫が書状を送ることはあっても、会うことなどはなかったはず。

このように考える事ができそうです。

さいごに

篤姫と西郷隆盛については、その生涯で2つの接点を見出すことができます。

ただ、この2つの接点で、実際に篤姫と西郷隆盛が直接に会うことはあったのだろうか。

もしかしたら、篤姫の輿入れの際に篤姫と西郷隆盛が会った可能性はあります。

しかし、実際には将軍家に嫁ぐ高貴なお姫様と、薩摩藩の下級藩士。相当な身分差があるので、会ったとはしても、会話はどの程度行われたのでしょうか。

小説の中で、篤姫と西郷隆盛の関係を恋仲にするのは着想としてはとても面白いけれど、事実はそれほど面白いものではなかった。

このことも推測に過ぎませんが、より事実に近い。

そのように感じています。

 
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