>
季節 PR

正月の雑煮の意味を歴史をさかのぼってお伝えします!

正月のお雑煮
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

はじめに

正月に雑煮を食べる方は多いと思いますが、どうして正月に雑煮を食べるのでしょうか。

スーパーに行けば餅は1年中売られているので、雑煮はいつでも食べられるはずですが、一般的に雑煮は正月に食べることが多いようです。

雑煮には何か意味がありそう。

この記事では、正月の雑煮の意味を歴史をさかのぼってお伝えします。

なお、雑煮の由来や意味については様々な意見がありますが、ここでは一般的に言われていることをご紹介します。

スポンサーリンク


室町時代の雑煮に入る餅の意味

雑煮という言葉が出てくるのは室町時代と言われていますが、今の雑煮とは少し異なっていたようです。

まず、雑煮を食べるのは武士、そして食べるのは宴会の席であったと考えられています。

武士の宴会では最初に雑煮が振舞われます。

その意味は、雑煮の中に入っている餅は消化が良いので、胃を動かしてからお酒を飲む。

また、餅は縁起の良い食べ物と考えられていたので、縁起担ぎという側面もあったのかもしれません。

室町時代の雑煮に入る餅には、消化を手助けするという意味と、武士の縁起担ぎという意味があったようです。

もっとも餅は貴重品。庶民が簡単に食べられるような時代ではありませんでした。

スポンサーリンク


江戸時代の雑煮に入る餅の意味

江戸時代になると庶民でも餅が手に入るようになり、雑煮も馴染みのある食べ物になります。

ところで、雑煮に餅が入るのはなぜでしょうか。

どうやら時代は変わっても、餅は縁起の良い食べ物と考えられていたようです。

稲作は古来より神事と深く結びついていました。そのため、神事により収穫された米、そして餅の白い色は穢れのない神聖さを意味してました。

また、よく伸びる餅は長生きを意味していました。正月に食べられるおせち料理には、一つ一つの具材に意味が込められてますが、餅にも長生きできるという意味があったようです。

江戸時代になると、餅は庶民に手に入るようになりましたが、餅が貴重な食べ物であったことに変わりありません。

滅多に食べられない貴重な食べ物を最初に神様に供える。それが鏡餅になったとも言われています。

 
■合わせて読みたい

江戸時代に雑煮の原型が生まれた

江戸時代になると庶民にも餅が手に入るようになりますが、餅は鏡餅という形にして神様にお供えします。

新しい年になると、年神様が家にやってきます。

しかし、年神様が迷ってしまう可能性があるため、玄関に目印となる門松などが置かれます。

次に、家にやってきた年神様をおもてなしするため、穢れのない真っ白な鏡餅を用意して、その年の豊作を願ったり、家族一人ひとりの健康を祈ります。

その後、年神様にお供えをした餅をお下がりとして食べます。

餅はいろいろな食べ方がありますが、稲作でとれた米(餅)、畑で採れた里芋や大根などの野菜、魚などを醤油や味噌で煮込むようになります。

これが現在につながる雑煮の原型ともいえるものです。

餅は貴重で、いつも食べられるわけではないこと。

餅は縁起が良く、しかも年神様にお供えした後のものなので、一年の始まりである正月に雑煮が食べるようになったと考えられています。

さいごに

雑煮は、簡単に言えば餅とその他の具材が入った汁料理ですが、正月に食べるという特徴があります。

江戸時代に一般化したとはいっても、餅は貴重なものでしたし、餅が手に入らない人もたくさんいたはずです。

少なくとも1年中、餅を食べるのは難しかったのかもしれません。

その後、経済が発展するとともに、餅も大量消費される時代になります。

当初の餅は丸餅でしたが、大量生産が不向きな丸餅に変わり、角餅が作られるようになったたと言われてます。

今でも関西は丸餅が多く、関東は角餅が多いと言われていますが、こうしたことが影響しているのかもしれません。

また、醤油や味噌、地域によって味付けも異なってきます。

雑煮の由来は一つかもしれませんが、長い歴史の中で地域によって異なる発展をしてきたようです。

 
■合わせて読みたい

こちらの記事もお読みください