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城と砦の違いを4つにまとめてわかりやすくお伝えします

砦の木柵のイメージ写真
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城と砦の違いとは

今でも全国には城が残り、観光地として人気を博しているところもあります。

ところで、戦国時代以前には城だけでなく砦もたくさんありました。では、城と砦にはどのような違いがあったのでしょうか。

どうやら、城と砦には明確な定義はなく、違いについてもあいまいな部分があるようです。

そのため城と砦の違いについては様々な意見が見受けられますが、この記事では絶対的な定義ではないけれど、一般的に言われている違いをお伝えします。

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城と砦の機能の違い

城も砦も敵に対する防御機能を有しています。ただ、どちらもそれだけではありません。

城は防御機能に加えて行政機能。

砦は防御機能に加えて、攻撃機能を有している場合があります。

城も砦も隣国の敵に対する備えのためのものです。

外敵からの侵略が絶対ないという状況であれば城も砦も必要なく、城の代わりに館があれば用は足ります。

外敵の侵略を前提にしているからこそ城や砦が必要になります。

しかし領主は、敵からの侵略を防ぐだけでなく、領民のことも考えなければいけません。

そこで防御機能と、政治を行うための行政機能を持たせたのが城になります。

一方、砦はより積極的に外敵からの侵略に備えたものと考えられます。したがって、砦が置かれる場所はより外敵に近い場所になります。

砦の役割は外敵からの侵略を国境で防ぐ、あるいは城に近づけないよう要所に設けるなど考えられます。

しかし、これは敵からの侵入を防ぐための砦です。

場合によっては隣国に侵略することもありますが、その場合の砦は攻撃のための前線基地になります。

たとえば大坂冬の陣で真田幸村が設けた真田丸も砦の一種と考えられています。

真田丸は大坂城の弱点を補うための防御機能を有しながら、外に積極的に出ていくための攻撃機能を考えて造られたと言われてます。

もちろん例外はたくさんありますが、機能面で考えると、城は防御機能に加えて行政機能を有している。

砦は防御機能だけでなく、攻撃機能を有している場合もあると考えられそうです。

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城と砦の使用期間の違い

城は防御機能に加えて行政機能を有しています。

また城の周囲には武士やその家族が住みむだけでなく、商人など多くの人も集まってきます。

城は短期的な視点ではなく、長期的な発展を見据えて造られるのが一般的です。

一方、砦は外敵により近い場所での防御機能や攻撃機能が求められます。あくまでも外敵に備えるためのものなので、砦の使用期間は城よりは短くなります。

1560年の桶狭間の戦いは、大きな勢力を誇っていた今川義元が織田信長の領地に攻め込んだものです。

桶狭間の戦いそのものはごく短期間で終了し、今川義元は討死しますが、その前には前哨戦が行われています。

当時、織田信長は清洲城を本拠としていましたが、今川義元の進行を防ぐため丸根砦・鷲津砦・善照寺砦など砦をいくつも設置します。

丸根砦・鷲津砦・善照寺砦の期間を確認すると、整備されたのは桶狭間の戦いの前年1559年、使われなくなったのは桶狭間の戦い後。

何れの砦も今川義元の侵攻を防ぐために造られ、今川義元の討死とともにその役割を終えたことが分かります。

城と砦の使用期間の違いについて、すべてに当てはまるわけではありませんが、城は長く砦は短いというのが一般的です。造方に

城と砦の造り方の違い

城と砦には、機能の違いや使用期間の違いが見受けられます。

そうしたことを考えると城と砦は造方にも違いが出てきます。

一般的に言えば、城は周囲の街づくりを含めて造ることが一般的です。それに対して砦は街づくりを考える必要はありません。

城は時間をかけて費用をかけて、計画的に造ることが多いようです。

また、戦国時代の終わり頃になると、天守閣を設ける、土塁ではなく石垣にするなど、築城技術も発達します。

一方、砦は敵に対する備えを固めるという点では計画的に造りますが、時間も費用もできるだけかけずに造ります。

また、戦国時代の終わりごろになると、戦いそのものが少なくなるので砦を造る必要性も低くなってきます。

城と砦の数と規模の違い

ここまで城と砦の違いを、機能、使用期間、作り方の3つの視点からお伝えしてきました。

城と砦の違いでもっとも多く言われるのは、城の数は少ないけど砦の数は多い、城は大規模だけど砦は小規模というものです。

城と砦の境目はあいまいで明確な定義もありませんが、機能、使用期間、作り方などの視点から考えると、数や規模にも違いが出てくるのは当然のことなのかもしれません。

城と砦の違いのまとめ

機能防御機能+行政機能防御機能+攻撃機能
使用期間長い短い
造り方時間や費用をかけ造る時間や費用をかけずに造る
少ない多い
規模大きい小さい

おわりに 砦の終焉

戦国時代までは城を中心として、必要に応じて数多くの砦が造られました。

しかし、大坂夏の陣が終わり豊臣家が滅亡してすぐに出されたのが、1615年の一国一城令です。

一国一城令は居城以外のすべての城の破却を命じたもので、この命令で一つの城だけは残せるものの、他の城や砦はすべて取り壊さなければならなくなりました。

この幕府の命令で城は僅かに残るものの、砦は存在を許されなくなり、砦の歴史もここで終焉を迎えています。

もしかしたら前述の真田丸が最後の砦だったのかもしれません。

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