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近藤勇のお墓は板橋・会津それとも他の場所なの

近藤勇とは

近藤勇は1834年、現在の東京都調布市に生まれ、1868年東京都板橋で亡くなります。享年34歳。

近藤勇は新選組の局長として滅びゆく江戸幕府の楯となって活躍しましたが、幕府滅亡とともに捕えられ、最期は官軍により斬首をされます。

ところで近藤勇のお墓と伝えられている場所は板橋と会津若松が知られていますが、それ以外にも数か所もあります。

近藤勇のお墓、本当はどこにあるのでしょうか?

近藤勇のお墓の場所が分からない理由とは

近藤勇のお墓は全国に数か所あることが知られています。

しかし、近藤勇の遺体が埋まっているお墓がどこにあるのか。いまだに判然とはしていません。

どうして近藤勇のお墓がどこなのかわからないのでしょうか。

その理由は主に2つあります。

近藤勇のお墓の場所が分からない理由その1

日本の風習として「両墓制」があります。

両墓制は1人の人に対して複数の墓を設けることで、実際に遺体のあるのが「埋め墓」、遺体がない場合や墓参などをするために設けられたのが「詣り墓」とされています。

両墓制のため、近藤勇のお墓も複数あると考えられています。

近藤勇のお墓の場所が分からない理由その2

近藤勇は罪人として斬首になったため遺体は首と胴体の2つに分かれています。

さらに首は京都に送られて三条河原で晒されています。

また、罪人であることから遺体は打ち捨てられ、遺族が持ち帰り供養をすることもできない状態でした。

首も胴体もその行方はいくつかの伝承はあるものの、公式な記録としては残ってはいません。

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近藤勇のお墓と考えられる場所とは

埋め墓、詣り墓を合わせて、近藤勇のお墓と考えられているのは次の7か所です。

 

東京三鷹市の龍源寺

東京板橋区の寿徳寺

福島県会津若松市の天寧寺

愛知県岡崎市の宝蔵寺

山形県米沢市の高国寺

京都市中京区の壬生寺

東京荒川区の円通寺

近藤勇の胴体が埋葬されていると考えられているお墓

近藤勇は斬首により首と胴体が分かれています。

さらに罪人として処刑されているため、それぞれが懇ろに葬ることも許されませんでした。

首も胴体もどこに行ったのか、公式には分かってはいません。

しかし、胴体と首、それぞれの行方について伝承は残っています。

近藤勇が板橋で処刑されたのは慶応4年4月25日、胴体は斬首後に板橋の刑場に埋められたとされています。その遺骸をその日のうちに掘り起こしたのが、近藤勇の婿養子であった近藤勇五郎。

近藤勇五郎は親戚4人と共に遺骸を掘り出し、その後、近藤勇の実家である宮川家の菩提寺である三鷹の龍源寺に埋葬したと伝えられています。

この話は近藤彦五郎自身が語ったものだそうですが、昭和33年に墓を調べたところ、出てきたのは長い脛の骨1本だけ。遺骨が少ないことからこの話には疑問が呈されているようです。

これに対して遺骨の点から信憑性の高いのが板橋の寿徳寺。寿徳寺は近藤勇が処刑された場所に近いところにあるお寺です。

寿徳寺には以前より近藤勇の小さなお墓がありましたが、昭和4年にお墓を改修したときに首のない胴体がでてきました。

さらにその胴体は右肩に穴が開いており、鉄砲で襲撃された近藤勇の状況とも合っていたそうです。

以上のことから、近藤勇の胴体が眠っているのは東京三鷹の龍源寺または東京板橋の寿徳寺の可能性が高いようです。

もっとも著名な罪人の処刑。刑場から遺体を簡単に持ち出すことなどできたのだろうか。そんな疑問を示す人もいるようです。

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近藤勇の首が埋葬されていると考えられているお墓

鶴ヶ城

鶴ヶ城



 

 

 

 

 

 

 

 

 

近藤勇の首は京都に送られ、翌閏4月8日から3日間、三条河原で晒されました。

その首の行方がどうなったのか、公式の記録には残っていません。また、実際にどこに行ったのかについても分かってはいません。

しかし、いくつかの伝承は残っています。

その中で最も有名なのが、福島県会津若松市の天寧寺。天寧寺のお墓は、千葉の流山で近藤勇と別れた土方歳三が会津で官軍と戦っていたときに建立したものと伝えられています。

一説によれば三条河原に晒された近藤勇の首を新選組隊員が奪い取り、会津若松の土方歳三に届けた。

土方歳三は新選組の実質的庇護者で会津藩の領主であった松平容保の許しを得て、鶴ヶ城が見える場所にある天寧寺に近藤勇の首塚を建立したというものです。

近藤勇の首が天寧寺に葬られているというのは、その後の記録にも残っているようですが、近藤勇は罪人、お墓の建立を許した松平容保も当時は賊軍。

正式な記録とは認められていないようですし、実際を確認するのもなかなかに難しいものと思われます。

また、それ以外に近藤勇の首が埋葬されていると考えられているお墓については、愛知県岡崎市の宝蔵寺山形県米沢市の高国寺があります。

愛知県岡崎市の宝蔵寺は、首を新選組隊員または近藤勇所縁の者が奪取したものの持ち帰ることができず、途中の岡崎市の宝蔵寺に首塚を作ったというものです。

山形県米沢市の高国寺は、近藤勇の従兄弟近藤金太郎が首を持ち帰り埋葬したというものです。

他にもある近藤勇のお墓

近藤勇のお墓については、これまで5か所をご紹介してきました。でも近藤勇のお墓と伝えられている場所はこれ以外にもあるようです。

その代表的なところをあげると、京都市中京区の壬生寺東京荒川区の円通寺などかあります。

最後に 板橋にある近藤勇のお墓とは?

ところで近藤勇のお墓としてもっとも有名なのが東京JR埼京線板橋駅近くのお墓

ただし、このお墓は明治7年に新選組同士の永倉新八や医師松本良順らが協力して建立した「新撰組の慰霊碑」です。

そのため、墓碑には近藤勇や土方歳三の他、新撰組隊士110名の名前が刻まれています。

これまであげてきた7つのお墓については「埋め墓」か「詣り墓」が明らかではありませんが、板橋駅近くにあるお墓については「詣り墓」と断定してもよさそうです。

ところで近藤勇、出自はともかく、亡くなるときは立派な武士でした。

その武士に対して、どうして最後は切腹ではなく斬首だったのか。史実なので仕方のないこととはいえ、どうも釈然としない思いがあります。

少なくとも斬首でなければ、お墓もはっきりとしていたはず。

近藤勇の本当のお墓「埋め墓」はどこにあるのでしょうか。


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