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上杉謙信女性説の根拠を探ってみました

上杉謙信女性説とは

歴史上の著名な人物にはさまざまな噂話があります。なかには信じられるものもあれば、どう考えても疑わしいというのもあります。

そこで出てくるのが上杉謙信は女性だったという説です。上杉謙信女性説は否定する人が圧倒的に多く都市伝説化しています。

でも、火のない所に煙は立ちません。真実かどうかは別としても上杉謙信女性説にはそれなりの根拠があるようです。

この記事では上杉謙信女性説の根拠とされるいくつかをご紹介していきます。

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上杉謙信女性説の根拠 その1

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上杉謙信在世時に上杉家が治めていたのは越後。その越後で唄われていた歌詞が上杉謙信女性説の根拠になっています。

その歌詞とは「生まれ給いし まんとら様は 男も及ばぬ大力無双」というものです。上杉謙信は生涯で何度か名前を変えていますが上杉政虎を名乗っていた時期があります。

歌詞の「まんとら」を「政虎」と読み替えると、「生まれ給いし政虎様は男も及ばぬ大力無双」になり、「男も及ばぬ」という部分で上杉謙信女性説が語られるようになりました。

上杉謙信女性説の根拠 その2

江戸時代に書かれた書物の中に「上杉謙信は1か月のうちに数日間馬に乗らないで臥せっていた」という記述があります。

この記述は上杉謙信が毎月生理痛に悩んでいたということを意味するもので、ここから上杉謙信女性説が言われています。

上杉謙信女性説の根拠 その3

当時の宣教師が母国に送った報告書に「上杉景勝の伯母」が当主であると記載されていました。上杉景勝は上杉謙信の姉の子供で、上杉謙信と上杉景勝は一般的には叔父と甥の関係と考えられています。

しかし、この報告書では伯母と甥の関係となっていることから上杉謙信女性説が生まれています。

上杉謙信女性説の根拠 その4

江戸時代に書かれた書物「当代記」で、上杉謙信の死因は大虫と記載をされていました。大虫の定義は明確ではありませんが、一般的には更年期に起こる婦人病と考えられています。

上杉謙信は婦人病で亡くなった。これが上杉謙信女性説の根拠になっています。

上杉謙信女性説の根拠 その5

その他に上杉謙信女性説の根拠になっているのは

○ 上杉謙信の筆跡が女性的である

○ 上杉謙信の鎧の胸の部分が膨らんでいる

○ 上杉謙信が女性であることを悟られないように肖像画に無精ひげのあるものが多い

このあたりになると根拠というより印象であるような感じも受けますが、果たしてどうでしょうか。

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さいごに 上杉謙信女性説が生まれたきっかけとは

上杉謙信像

 

 

 

 

 

 

 

 

上杉謙信女性説の噂は否定する意見が多いものの、前述のとおり、いくつかの根拠といわれるようなものが提示されています。

では、どうして上杉謙信女性説が言われるようになったのでしょうか。

上杉謙信女性説がささやかれるようになったきっかけは、どうやら2つほどあるようです。この記事の最後に、そのきっかけをご紹介させていただきます。

上杉謙信女性説がささやかれるきっかけ1

上杉謙信女性説が出たきっかけは小説家八切止夫氏が1968年に発表した小説「上杉謙信は男か女か」によるものとされています。

この小説は当時も現在も実証性について問題になっているようですが、上杉謙信女性説がでてくるきっかけになったとされています。

上杉謙信女性説がささやかれるきっかけ2

上杉謙信女性説がささやかれるようになったきっかけは、上杉謙信自身の私生活の特異性にあります。

上杉謙信は生涯妻を持つこともありませんでしたし、実子もいませんでした。上杉謙信の後継者となったのは前述の上杉景勝ですが、上杉景勝は上杉謙信の養子で実子ではありません。

では、どうして上杉謙信は妻を迎えなかったのか。

上杉謙信は男が好きだったという説があります。このことも上杉謙信女性説の根拠と考える人もいるようですが、要は女より男が好き。

このことが妻を迎えなかった理由ととらえられることがあります。

ただ、妻を迎えなかったということについて、もっとしっかりした理由は上杉謙信は毘沙門天を信仰していたからであるとも言われています。

毘沙門天は戦の神様です。

そのため、上杉謙信は毘沙門天を信仰することで戦に勝つことができると考えたようです。さらには上杉謙信自身が自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていたふしも見受けられます。

毘沙門天であるためには戒律を守らなければいけない。そのように考えた上杉謙信はひたすら戒律を守ろうとします。

その戒律の一つが異性と交わらない不淫戒です。上杉謙信は毘沙門天であり続け、戦に勝ち続けるためには不淫戒を守らなければならないと考えます。

そのため、妻を迎えなかったとされています。

上杉謙信が妻を迎えなかったのは本人にとっては、ごくごく真面目な話です。

しかし、当時は戦国時代。家を存続させるための大事な要因の一つとして後継者を育てるということがありました。

また、後継者は何よりも自分の血をもっとも濃く受け継いだもの。当時の武将は正室どころか多数の側室をおくことが当たり前でした。

複数の女性を側に置くことが当たり前の時代にあって、上杉謙信の私生活は多くの人々から奇異の目で見られたはずです。

そして結果的には上杉謙信の特異な私生活が、上杉謙信女性説の噂が出る最大のきっかけになったものと思われます。

歴史ファンの中には、目くじらを立てて上杉謙信女性説を否定する人も多いと思われます。

でも、これも歴史。真偽は別として上杉謙信女性説は何かワクワクするものを感じさせてくれます。


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