>
三大・五大他 PR

日本三大まんじゅうの決め方とは!それぞれの特徴もご紹介します

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

はじめに 日本三大まんじゅうの決め方とは

この記事では、日本三大まんじゅう(饅頭)の決め方と、それによって選ばれたまんじゅうのそれぞれの特徴などをご紹介していきます。

ところで、日本三大というのは数多くありますが、その多くは公式に認められたものではないようですし、三大と言っても候補が4つ・5つと三大では収まらない場合も往々にしてあります。

では、日本三大まんじゅうはどうでしょうか。

日本三大まんじゅうも公式に認められたものではありません。ただ、日本三大まんじゅうについては次の3つと言われる場合が多いようです。

それは、東京と岡山と福島の饅頭です。

では、どうして日本三大まんじゅうが東京と岡山と福島の饅頭になったのでしょうか。

その理由は一冊の本にあります。その本とは三笠書房が出版する『日本の「三大」なんでも事典』です。

この本の中に日本の三大まんじゅうについて記載した部分があり、日本三大まんじゅうを、東京と岡山と福島の饅頭ということで紹介をしています。

日本三大まんじゅうを一冊の本で明確に記述をしている。そして、この意見に対しての明確な批判はあまり見受けられない。

これが日本三大まんじゅうの決め方の根拠になったと考えられています。

そこで、次に『日本の「三大」なんでも事典』の決め方に従い、東京と岡山と福島の饅頭を日本三大まんじゅうとして、特徴を簡単にご紹介していきます。

スポンサーリンク


日本三大まんじゅう1 東京の志ほせ饅頭

東京の志ほせ饅頭を製造しているのは、東京都中央区明石町に本店を置く塩瀬総本家です。

志ほせ饅頭の歴史は古く1349年に遡ります。

室町幕府初代将軍足利尊氏の時代。また、朝廷が南朝と北朝に分かれていた南北朝時代でもあります。

志ほせ饅頭の考案者は、宋の国から日本にわたってきた林淨因。

林淨因が中国の「饅頭(マントゥ)」と言われる食べ物に着想を得て作ったのが、志ほせ饅頭の始まりと言われています。

中国の饅頭は皮の中に肉を詰めたもの。

しかし、僧籍にあるものは肉食が禁止されているということで、中に小豆から作った餡を入れ、周りを皮で包み、それを蒸してお菓子を作った。

林淨因の考案した新たなお菓子は奈良の寺院を中心に人気を博し、朝廷にも献上されるほどになりました。

林淨因が亡くなって後はその子孫が引き継ぎ、その後、奈良と京都に分かれて営業を続けます。

ところが、応仁の乱を契機に京都の子孫は京都を離れざるを得なくなりました。

その移った先が三河国の塩瀬村。林家の子孫はここで姓を「塩瀬」に改めています。

その後、塩瀬家は京都に戻り饅頭作りを再開。塩瀬饅頭は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など当時の有力武将にも愛好されています。

そして1600年の関ヶ原の合戦後、塩瀬家の一部は江戸に移り住みます。

江戸に移った塩瀬家は代々の屋号を「塩瀬」とし、それが現在の塩瀬総本家になっています。

志ほせ饅頭は、一口薯蕷饅頭(ひとくちじょうよまんじゅう)です。

志ほせ饅頭は一口とサイズは小ぶりでも、山芋のしっとりとした感触を味わえる饅頭という特徴があります。

また、志ほせ饅頭は中の餡の甘さが控え目で、製造は手作り。

甘すぎない上品な味わいと、丁寧な作業が数百年の歴史を築き上げてきているようです。

※ 薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)とは、皮の部分にすった山芋を入れ込んだまんじゅうのことです。

日本三大まんじゅう2 岡山の大手まんぢゅう

岡山の大手まんぢゅうを製造しているのは大手饅頭伊部屋。

大手まんぢゅうの歴史は1837年に遡ります。

時代でいえば11代将軍徳川家斉が亡くなり、12代将軍徳川家慶に変わった年。また、大塩平八郎の乱が起こった年でもあります。

岡山の大手まんぢゅうは大手饅頭伊部屋(いんべや)の初代である伊部屋永吉が考案したと伝えられています。

大手まんぢゅうは甘酒を作るところから始まります。完成した甘酒と小麦粉を調合し発酵。それが大手まんぢゅうの生地になります。

その生地の中に餡をくるみ、蒸しあげたのが岡山の大手まんぢゅうです。

岡山の大手まんぢゅうは酒饅頭の一種で、甘酒のコクと餡の甘さが特徴。また品質にこだわるところから販売も地元が中心。

バランスが絶妙ということと、新鮮さにこだわるということが、今でも人気がある饅頭となっている最大の要因のようです。

なお、大手まんぢゅうの名前の由来は、店の場所が岡山城大手門の近くにあったため。

当時、岡山城を居城としていたのは池田氏。

池田氏にも伊部屋の饅頭が愛好されていたということで、藩侯から大手まんぢゅうという名称が与えられたと言われています。

スポンサーリンク


日本三大まんじゅう3 福島の薄皮饅頭

日本三大まんじゅうというよりも、饅頭の中にあっては定番中の定番。

そう言っても差し支えなさそうなのが、福島県郡山市に本拠をおく柏屋です。

日本には数多くの温泉地があります。温泉地の多くで土産物として温泉饅頭を販売しています。

温泉饅頭の多くは茶色い生地の中に黒い餡が入っていますが、この原型とも言われているのが福島の薄皮饅頭です。

福島の薄皮饅頭の歴史は比較的新しく1852年。

時代でいえば13代将軍徳川家定が亡くなり、14代将軍徳川家茂に変わった年。

江戸幕府は1868年になくなっていますから、薄皮饅頭が考案されたのはまさに幕末の動乱期になります。

薄皮饅頭の考案者は柏屋の初代善兵衛。

善兵衛の考案した薄皮饅頭は、その名の通りたっぷりのこしあんを薄い皮で包んだもの。

今でこそ一般的な饅頭とも言えそうですが、当時としては画期的で奥州街道の名物になっていました。

太平洋戦争終結後、材料が確保できないということで、製造を中止していた時期もあったようですが、1963年に薄皮饅頭を自動的に製造する機械を開発。

現在では、東北地方を中心にいくつもの支店を構えるまでになっています。

個人的なことを書かせていただくと、柏屋の薄皮饅頭は大好物。

福島には数年に1回しか行きませんが、その手前の那須などでも薄皮饅頭が販売されているので、機会があれば必ず購入するようにしています。

福島の薄皮饅頭は私にとっても定番中の定番。そのような存在です。

さいごに

饅頭をふかしているときのイラスト
この記事では日本三大まんじゅうの決め方と、その決め方によって選ばれた東京の志ほせ饅頭、岡山の大手まんぢゅう、福島の薄皮饅頭の特徴を簡単にご紹介してきました。

日本三大まんじゅうは必ずしも公式的なものではありません。

ただ、すべての饅頭には歴史があり、それぞれの饅頭にはそれぞれに異なる特徴があります。

日本三大まんじゅうと言われるだけあって、場所は東京と岡山と福島と場所が離れています。

3つの饅頭をすべて食べるのは案外と難しいかもしれませんが、いつかはすべてを食べてみたいと思っています。

 

★ こちらの記事も合わせてお読みください!

⇒ 日本三大銘菓とは!越乃雪と長生殿と山川の3落雁をご紹介

こちらの記事もお読みください