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神社と神宮と大社の違いとは!わかりやすくお伝えします

神社のイラスト
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はじめに

この記事では、神社と神宮と大社の違いを分かりやすくお伝えします。

ところで、神社は神道に基づく施設ですが、神道そのものの歴史が極めて長いだけに、神社に対する考え方も時代によって変化してきました。

特に明治新政府は、神道を国の中心に置こうとしたため、神仏分離令が発布され廃仏毀釈運動も起こりました。

明治になってからの神道は、それまでとは一線を画したもので、神社に対する考え方もそれ以前とは大きく変わりました。

簡単に言えば、神道も神社も、国によってその地位が高められた時代と言えそうです。

その考え方が大きく変わったのが第2次世界大戦における日本の敗戦で、それまでの神社に関する法律などの決まり事がことごとくなくなり、神社に対する考え方も大きく変貌しています。

冒頭でお伝えした通り、神道も神社も長い歴史の中で大きく変化し、考え方も多様に変化しています。

そのため絶対的な定義というわけではありませんが、この記事では歴史を踏まえながら、現代における神社と神宮と大社の違いをお伝えしていきます。

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神社とは

敗戦まで、神社・神宮・大社などを総称したものを「社号」と称していました。

特に明治になってからは、社(やしろ)の格が定められ(社格)、社号の中で重要度の高い順に神宮・宮・神社と序列が定められていました。

つまり当時の神社は、社格という序列の中の一つの存在という位置づけでした。

敗戦後は、政教分離で法的な社格制度が廃止され、各神社は基本的には自由に名称をつけることができるようになっています。

では、現在の神社はどのような存在でしょうか。

神社は、神を祀る社です。

そして神社は、神宮や大社以外、わかりやすく言えば一般的神社の呼び名の総称が神社になります。

神宮とは

神宮は、天皇家に連なる神様や、天皇を神として祀るところとされています。

もっとも、本来の神宮は伊勢神宮だけとされています。

神宮が伊勢神宮だけであれば、伊勢の文字をつける必要はありません。したがって、伊勢神宮の正式名称は「ジングウ」になります。

古来よりあったのは、伊勢神宮と石上(いそのかみ)神宮です。

伊勢神宮は、皇室の宗廟(そうびょう)で、全国の神社の頂点に立つ存在でした。

一方の石上神宮は、有力豪族物部氏の氏神でしたが、丁未の乱(587年)で物部氏が蘇我氏に敗れたため一時期荒廃します。

その後、大化の改新(745年)では、権勢を誇っていた藤原氏(中臣氏)が蘇我氏を破り、物部氏が創建した鹿島神宮と香取神宮を神宮とします。

以降、明治を迎えるまで「神宮」と称せられるのは、伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社のみとされていましたが、それでも伊勢神宮は別格という位置づけでした。

明治の混乱期には、様々な神社が神宮に改称し、さらにその後も天皇の霊を祀る神社なども神宮と名を改めています。

ただし、明治時代にできた神祇制度(しんぎせいど)で、格付けが「神宮」とされたのは伊勢神宮のみで、他は神社という位置づけでした。

神祇制度も敗戦でなくなり、基本的に神宮を名乗るのに法的な制約はなくなっています。
 
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大社とは

通常、大社は出雲大社だけを言います。また、読み方は「いずもおおやしろ」になります。

出雲は、元々朝廷とは別の勢力でしたので、先にお伝えした神宮とは別系統になります。

言い換えると神宮と違い、朝廷など中央の勢力の統制は及ばなかったため、大社を名乗るのは緩やかでした。

明治になり社格制度ができ、全国の神社がランク付けされます。

その順番は、官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社です。

昭和になると官幣大社や国幣大社の一部が大社を名乗るようになり、さらに社格制度がなくなった戦後は法律の規制もなくなったので、大社を名乗ることは一層緩やかになっています。

現在では、社格制度で格式が高かった神社、大きな神社、信奉度の高い神社などが大社を名乗っています。

ただし、「おおやしろ」は出雲大社だけで、他はすべて「たいしゃ」と呼んでいるようです。

さいごに

この記事では、神社と神宮と大社の違いをお伝えしてきました。

神道には長い歴史があり、その間に、さまざまな考えが生まれてきています。

神道の施設である神社についても同じことで、神社と神宮と大社の違いについても、多くの意見があります。

今回、ご紹介したのも絶対的に正しいと言われるようなものではなく、一般的に言われている説をまとめたもの。

そんな感じでご理解いただけたら幸いです。

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