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はじめに
この記事では、石川五右衛門の釜茹での刑と辞世の句をご紹介します。ところで、石川五右衛門はとても有名な人物ですが、恐らくそれは漫画のルパン三世の影響によるものではないでしょうか。
実際の石川五右衛門自身はその実在を疑われていた時期も長く、現在は実在したことは確認されているものの、具体的な事績ははっきりとしていない、歴史上謎の人物です。
そのため、石川五右衛門はまず生年が明らかではありません。だから何歳で亡くなったのかは不明です。
でも、亡くなった年ははっきりとしています。石川五右衛門が亡くなったのは、現在の暦で考えると1594年10月8日。
石川五右衛門の亡くなった日がはっきりとしているのは、その亡くなり方がかなり変わっていたため。
もちろん病気で亡くなったわけでも、けがで亡くなったわけでもありません。
石川五右衛門が亡くなったのは、いわゆる処刑されたことによるものです。
しかも当時としては普通にあった磔(はりつけ)とか斬首という処刑の方法ではなく釜茹での刑。
日本の処刑の方法として釜茹での刑というのは少し変わった方法。
その釜茹での刑という処刑方法が珍しいものであったがゆえに、石川五右衛門は後世に名を残すことになったのかもしれません。
それでは、石川五右衛門の釜茹での刑と辞世の句を簡単にご紹介していきます。
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石川五右衛門の釜茹での刑とは
石川五右衛門は時代でいえば安土桃山時代の人。職業は盗賊。しかも盗賊の頭であったと考えられています。その石川五右衛門が盗みを働いていたのは京都や大坂。当時の大都市です。
しかし、石川五右衛門は天下人であった豊臣秀吉に捕まってしまいます。
石川五右衛門は捕まったのは盛んに盗みをしたからという説が有力ですが、一説には以前より豊臣秀吉に恨みがあり、豊臣秀吉を暗殺しようとしたから捕まったという説もあります。
恐らくですが、この時に石川五右衛門だけでなく、母や子どもも含めて石川五右衛門一族の10名から20名が一網打尽にされたと考えられます。
それは、石川五右衛門が処刑された時、合わせて10人から20人が処刑されたという記録が残っているためです。
もっとも、一緒に処刑された他の多くの者は磔。
どうやら石川五右衛門、あるいは石川五右衛門とその子供だけは磔ではなく、別の方法が用いられています。
その方法が有名な釜茹の刑です。
釜茹での刑による処刑の方法は中国では割と行われていた方法と言われています。
その方法とは、大きな釜の中に湯をたぎらせ、その中に罪人を放り込んで処刑するというものです。
釜の中の熱く沸かした湯に罪人を放り込む。
現代で考えるととても残酷な方法ですが、釜茹での刑は釜さえ用意ができれば、費用そのものはかかりません。
また、磔や斬首とは異なり誰かが直接に手を下すわけでもありません。さらに、一度にある程度の人数を処刑させることも可能です。
ところで、石川五右衛門が処刑させられたのは釜茹での刑とされています。
もちろん、これが真実なのかもしれません。
しかし、石川五右衛門が受けた釜茹での刑は、釜の中が水ではなく油であったとも考えられています。
釜の中の湯に入れるから釜茹での刑。釜の中が湯ではなく油であったならば、これは釜茹でではなく釜炒りの刑ではないか。
そのような意見もあるようです。
どうして湯ではなく油であったのかは定かではありません。はっきりとしているのは当時の油はとても貴重であったこと。
簡単に用意できる水ではなく、とても高価な油を使って、わざわざ刑を執行したのは普通の感覚ではなかなか理解しがたいところです。
実際にどうして水ではなく油が使われたのはわかりませんが、釜茹での刑を命じたあるいは認めたのは天下人である豊臣秀吉。
豊臣秀吉は派手好みで知られていましたが、そうした豊臣秀吉の性向が石川五右衛門の釜茹での刑に結び付いたのかもしれません。
なお、石川五右衛門の釜茹での刑にちなんだ風呂が、いわゆる「五右衛門風呂」です。
見かけることは少なくなりましたが、五右衛門風呂そのものは今でも残っています。
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石川五右衛門の辞世の句とは
石川五右衛門は生年さえ明らかではありません。またはっきりとした事績が残っているわけでもありません。
それでも現代にその名が残っているのは、まず一つは石川五右衛門が釜茹での刑という特異な方法で処刑されたこと。
また、もう一つは亡くなるときの辞世の句が原因であったと考えられています。
その石川五右衛門の辞世の句はあまりにも有名で多くの人に知られているものですが、改めてここでもご案内をさせていただきます。
石川五右衛門の辞世の句とは「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」というものです。
「石川や」というのは、石川五右衛門のことだけではなく、石川五右衛門を含めた一族のことだと考えられています。
豊臣秀吉に捕まったのは石川五右衛門だけでなく、一族郎党のすべてが捕まったと考えられます。
砂の真砂とは、簡単に言えば砂浜の砂のこと。数えきれないほど存在しているという意味でしょうか。
これを前提に、石川五右衛門の辞世の句を意訳すると「石川五右衛門の一族郎党がすべて捕まり処刑されても、砂浜の砂がすべてなくなるようなことがあっても、この世の中から盗人がいなくなることは決してない」ということになりそうです。
石川五右衛門の辞世の句は、世の中に痛切な現実を浮かび上がらせるもの。
あるいは、豊臣秀吉などの為政者に浴びせた強烈な皮肉ととらえることもできそうです。
歴史上有名なのは、一般的には歴史の中で明確な事績を残した人。
石川五右衛門のように処刑された時だけスポットを浴びた歴史上の人物というのは珍しいですね。
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