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目次
日本のへそとは
人間は体の真ん中にへそがあります。日本列島の真ん中にあるのがいわゆる「日本のへそ」です。人の体にはへそは1つしかありません。ところが日本のへそと言われる場所は6か所もあります。
その理由は日本のへそは自称が多いから。
では、日本のへそと言われる場所はどこでしょうか。
日本のへその場所はどこ?候補地は6か所もあった
日本のへそと言われているのは次の6か所です。ではその場所とはどこでしょうか。群馬県 渋川市
栃木県 佐野市
山梨県 韮崎市
長野県 辰野町
岐阜県 関市
兵庫県 西脇町
この中で、特に「日本のへそ」論議に熱心なのは群馬県渋川市と兵庫県西脇町です。
そこで、最初に2つの市町以外がどうして日本のへそ候補になっているのか簡単に見ていきます。
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日本のへその場所はどこ1 栃木県佐野市
日本の北端の岬である北海道宗谷岬と南端である鹿児島県佐多岬を直線で結びます。また、日本側の海岸線の中間地点と太平洋側の海岸線の中間地点を結び、同じく直線で結びます。この2本の直線が交わったところが「日本のへそ」で、その場所が栃木県佐野市になるということです。
なお、以前は栃木県田沼町が日本のへそということでしたが、現在は市町村合併で栃木県佐野市になっています。そして佐野市には道の駅「どまんなかたぬま」があり多くの人で賑わっています。
佐野市については日本のへそという説もありますが、日本のへそではなく日本列島の「どまんなか」を自称している説もあるようです。
※ 住所 栃木県佐野市吉水町366-2
日本のへその場所はどこ2 山梨県韮崎市
山梨県韮崎市が日本のへそとなる根拠は栃木県佐野市と似ています。日本の北端の岬である北海道宗谷岬と南端である鹿児島県佐多岬を直線で結ぶのは同じ。
次に日本の最東端である東京都小笠原村の南鳥島と最西端である沖縄県与那国町の与那国島を直線で結びます。
その交差した場所である山梨県韮崎市大草町が日本のへそになるということです。
※ 緯度経度 北緯35度41分27秒、東経138度27分40秒
日本のへその場所はどこ3 長野県辰野町
日本にはゼロポイントという場所が40か所あります。ゼロポイントは緯度経度とも00分00秒となる場所で40か所の中心が長野県辰野町にあることから「日本のへそ」となっているようです。
長野県辰野町のゼロポイントは北緯36度00分00秒、東経137度59分00秒です。ただ、この場所には道路などがないため北緯36度00分47秒、東経137度59分36秒と少しずれた場所に「日本中心の標」という石碑が設置されています。
なお辰野町自身は日本のへそではなく「日本の地理的中心」を唱えているといるようにも見受けられます。
日本のへその場所はどこ4 岐阜県関市
岐阜県関市が日本のへそとなる根拠は総務省統計局の国勢調査によるものです。国勢調査では日本の人口重心を求めています。
人口重心とは日本に住む人の体重がすべて同じという仮定を設け、その全員が日本地図に乗った場合にちょうどバランスが取れる場所ということです。
なお、人口重心は国勢調査のたびに少しずつ東にずれていくという傾向があります。そこで過去の人口重心を追いかけてみると
昭和40年 | 岐阜県山県郡美山町 |
昭和45年 | 岐阜県武儀郡洞戸村 |
昭和50年 | 岐阜県美濃市 |
昭和55年~平成7年 | 岐阜県郡上郡美並村 |
平成12年 | 岐阜県武儀郡武儀町 |
平成17年 | 岐阜県関市 |
そのため、かつて「日本のへそ」と言われた場所には記念して名づけられた建造物とか温泉施設が今でもあるようです。
それでは次に「日本のへそ」論議に熱心な2つの市をご紹介します。
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日本のへその場所はどこ5 群馬県渋川市
渋川市が日本のへそを自称する根拠は2つあるようです。
一つ目の根拠は地理的な要件。
地理的な要件で渋川市が日本のへそである根拠は、日本の北端の岬である北海道宗谷岬と南端である鹿児島県佐多岬を直線で結んだ中間点にあるからということのようです。
また、二つ目の根拠は歴史的な要件。
西暦802年、坂上田村麻呂が東征の際に現在の渋川市に立ち寄り、ここが日本の中心であると定めた「臍石」(へそいし)があるということ。
2つの根拠に基づいて昭和59年に渋川市は「へそのまち」を宣言しています。
名所としては前述の「臍石」や「へそ地蔵」、イベントとしては「渋川へそ祭り」と「へそ踊り」などかあるようで、「日本のへそ」活動には相当に熱心なようです。
日本のへその場所はどこ6 兵庫県西脇町
ここまでの「日本のへそ」とされてきた市や町は東日本に点在していましたが、西脇町だけは西日本にあります。
どうして、西脇町が日本のへそになるのでしょうか。
渋川市と同様、西脇町も市をあげて日本のへそ活動に熱心です。
西脇町が日本のへそとなった根拠は大正時代に陸軍が東経135度、北緯35度にある西脇町を日本の中心と確認したことに始まるようです。
その後、昭和52年に西脇町では「日本のへそ」を宣言、さらに平成元年からは「日本のへそです大作戦」を展開しています。
西脇町では「日本へそ公園」がある他、「へその西脇・織物まつり」、「日本のへそゴマ」栽培、「へそマラソン」などへそに関連した様々なイベントを熱心に行っています。
まとめ
日本のへその場所はどこかを探してみました。その候補は6つの市や町。なかには日本のへそではなく別の名称を唱えている所もありますが、熱心に日本のへそ活動を進めている場所もあります。
もっとも日本のへそはあくまでも自称。
誰かが日本のへその場所はどことはっきりと決められるものでもありません。
ただ、日本のへそ活動がその地域の活性化につながると良いですね。
また、もしかしたら6市町以外にも同様な活動に取り組んでいるところもあるかもしれません。
今、少しばかりそのことが気になっています。
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