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はじめに
この記事では、毎年5月5日に入る菖蒲湯(ショウブユ)の由来や、端午の節句の意味、端午の節句に菖蒲湯に入る理由などをお伝えします。5月5日はこどもの日ですが、この祝日が生まれたのは昭和23年の祝日法によるもので、それ以前の5月5日は端午の節句として知られていました。
端午の節句の風習としては、柏餅やちまきなどの行事食、五月人形やこいのぼりが知られていますが、合わせて菖蒲湯も残っています。
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菖蒲とは
菖蒲と勘違いされやすい植物に「花菖蒲」がありますが、二つは全く異なるものです。分類は、花菖蒲がアヤメ科アヤメ属であるのに対して、菖蒲はショウブ科ショウブ属です。
また、花菖蒲は花を楽しみますが、菖蒲は黄緑色の小さな花を咲かせるだけ。
端午の節句の菖蒲湯として用いられるのは菖蒲で、花菖蒲を使うことはありません。
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端午とは
端午の節句には、それぞれの文字に意味があります。端は「はじ」と読みますが、端には「モノのはじ」とともに、物事の始まりという意味があります。
午(うま)は十二支に由来していて、子(ね)で始まり、亥(い)で終わる十二支の中で、午は7番目です。
十二支といえば、子年や丑年など年単位で知られていますが、十二支は年だけでなく月や日にも当てはめられています。
日でいえば、土用の丑の日や、11月の酉の日に開催される酉の市が知られています。
月の場合、十二支の始まりである子の月(ねのつき) は陰暦11月なので、7番目の午の月(うまのつき) は陰暦5月になります。
そのため、陰暦5月の最初の午の日を端午としていましたが、午は「ご」とも読むことから、陰暦5月の最初の5の日である5月5日を端午の節句にしたと言われています。
節句とは
節句の「節」には季節の変わり目という意味があり、この日に無病息災、豊作、子孫繁栄などを願うという考えがありました。また元は「句」ではなく「供」という字を使っていて、お供え物をするという意味がありました。
節句は、季節の変り目に神様にお供え物をして邪気を払い、無病息災、豊作、子孫繁栄を願うという意味があります。
ところで、5月5日のように月と日が同じ日を、江戸幕府は五節句として祝日としていました。
※ 五節句の最初は1月7日です。1月1日は格別の日であるため1月7日を節句としています。
※ 五節句の最後は9月9日の重陽の節句で、11月11日は五節句ではありません。
そして、3月3日はお雛様を飾る女の子の節句、5月5日は五月人形を飾る男の子の節句として、さまざまな風習が定着していました。
その中の風習として、現在まで伝わっているのが、端午の節句の菖蒲湯です。
菖蒲湯の由来
菖蒲湯の由来については諸説あり、はっきりとしたことはわかりませんが、古代中国では菖蒲(しょうぶ)酒を飲む習慣があったと伝えられています。ところで菖蒲には香りがあります。
菖蒲はその香りから薬草として重宝され、日本では奈良時代の宮中で菖蒲を薬として贈る習慣があったようです。
菖蒲湯が始まったのは江戸時代。
江戸時代の湯屋(現在の銭湯)が、菖蒲の香りが邪気を祓うということで始まったと言われています。
5月5日に菖蒲湯に入る理由とは
5月5日は端午の節句で、男の子の節句とされていました。男の子の節句には、男子にとって縁起の良い風習がいくつもあり、菖蒲湯もその一つとして残っています。
菖蒲を置き換えると、尚武や勝負という文字になります。
尚武は武勇を重んじること、男の子が強い男子に成長することにつながっています。
また、菖蒲の鋭くとがった葉先が剣にも見えることから、勝負は争いごとに負けない強い男子に成長することにつながっています。
そのため端午の節句になると、強い男子になることを願って、菖蒲の束を風呂に浮かべた菖蒲湯に入る風習が生まれ、現在も残っています。
まとめ
この記事では菖蒲湯の由来とともに、端午の節句の意味や、端午の節句に菖蒲湯に入る意味などについてお伝えしました。
ところで、端午の節句には様々な行事や食べ物があり、それぞれに意味が込められています。
五月人形の鎧や兜には、男の子を守るという意味があります。
鯉のぼりには、男の子の立身出世を願うという意味があります。
また、柏餅には家系が絶えないことを願う意味が込められています。
現在、5月5日は端午の節句というよりも子供の日。
男女を問わず子供の健やかな成長を願う日となっていますが、風習そのものは残っていくと良いですね。
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