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豊臣秀頼の父親は豊臣秀吉?それともあの人物なの?

豊臣秀頼とは

豊臣秀頼は豊臣秀吉の子として1593年に生まれました。豊臣秀吉は天下人でしたが、豊臣秀頼が生まれたときはすでに老境に入っており1598年に亡くなります。

それでも何もなければ豊臣秀頼は天下人の子としてその生涯を過ごすはずでした。

しかし、そこに立ちはだかったのが徳川家康。徳川家康は1600年の関ヶ原の戦いで豊臣家から実権を奪い、1615年の大阪夏の陣で豊臣秀頼を自害に追い込みます。

豊臣秀頼は天下人を父親にもちながら幼少期に父親を亡くし、さらには実権をも失い23歳で死去。あわせて豊臣家も滅亡しています。

豊臣秀頼の父親は豊臣秀吉です。豊臣秀頼の父親が豊臣秀吉であるということを否定する根拠は何もありません。それでも、豊臣秀吉の父親は別人であるという噂はいまでも途切れることなく言い伝えられています。

どうして、豊臣秀頼の父親は豊臣秀吉以外の人物という噂がでるのか。そのことを少し調べてみました。

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豊臣秀頼の父親が豊臣秀吉でないとする根拠は?

豊臣秀吉像

豊臣秀吉像



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豊臣秀頼の父親が豊臣秀吉でないとする根拠は大きく2つあります。

まず一つは豊臣秀吉自身にあります。豊臣秀吉には正室の北政所以外にも側室が10人以上いました。しかし、誰との間にも子ができなかったとされています。

ところが、側室の淀殿との間には2人の子ができています。1人は早世しましたが、次に生まれたのが豊臣秀頼。他の女性との間には子ができなかったのに淀殿との間だけは2人の子ができた。

このことから淀殿の不義密通説がまことしやかにささやかれ、それが豊臣秀頼の父親が豊臣秀吉でないとする根拠になっています。

もう一つは豊臣秀吉と豊臣秀頼の体格差です。豊臣秀吉の身長は150㎝程度と言われています。現代よりも平均身長の低い時代ではありましたが、豊臣秀吉の身長は当時の平均をも下回るとされていました。

一方の豊臣秀頼の身長は約2m。当時としては並外れた巨漢です。また、体重も相当にあったとされ、小男で貧相とされた豊臣秀吉とはその体格において大きな差がありました。

あまりにも体格が違うこともあって、豊臣秀頼の父親は豊臣秀吉でないとする根拠になっています。

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豊臣秀頼の父親の可能性があるのはだれ?

では、豊臣秀頼の父親はだれなのか。

こちらについてはいくつもの説があり、その候補者の一人として徳川家康の名前が上がることもあるようです。もっとも、豊臣秀吉が元気な時に、淀殿と徳川家康の間に接点の機会そのものがあったかどうかさえ疑問です。

豊臣秀頼の父親候補として有力とされるのは淀殿により近い人物。具体的には石田三成と大野治長、この2人です。

まずは石田三成です。石田三成が豊臣秀頼の父親ではないかという噂は以前よりありますが、どうやらこれは違うようです。

豊臣秀頼が生まれたのは1593年8月29日。そこから淀殿の懐妊時期を逆算すると1592年になりますが、この時期石田三成は文禄の役で朝鮮にいたはず。

したがって、時間的に豊臣秀頼の父親が石田三成とするには無理がありそうです。

豊臣秀頼の父親候補の筆頭に挙げられるのが大野治長です。大野治長の母は淀殿の乳母である大蔵卿局。淀殿と大野治長は乳兄弟になります。

大野治長は豊臣秀吉の在世中から豊臣家に仕え、一時は豊臣家を離れた時期はあるものの、関ヶ原の合戦後は豊臣家の重臣となり最後は豊臣家と運命を共にします。

徳川家康は接点の機会そのものが疑問視されます。また、石田三成は時間的に不可能なようです。この2人が豊臣秀頼の父親とするには無理があります。

しかし、母の大蔵卿局は淀殿の側に仕え、自らも豊臣家に仕えていた。淀殿と大野治長に密通があり、その結果として豊臣秀頼が誕生したというのは、前の2人よりは真実味があります。

実際に当時もいくつかの書状に淀殿と大野治長がただならぬ関係にあったということが噂話として語られています。

大蔵卿局も大野治長も淀殿や豊臣秀頼と運命をともにしていますが、もしかしたら主従以上の関係があったのかもしれない。そのように考える人もいるようです。

まとめ

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豊臣秀頼の父親は大野治長。そう考える人は多いようですし傍証もいくつかあるようです。

もちろん、豊臣秀頼の父親は大野治長ではないという意見も多数あります。

たとえば豊臣秀吉が元気な時に、大野治長が淀殿に近づけるものだったか。あるいは豊臣秀吉の権勢が絶大な時に淀殿に近づく勇気が果たしてあったかどうか。

また、豊臣秀頼が大柄であったことについても、淀殿の父親である浅井長政も偉丈夫で知られていただけに当然にあり得ること。豊臣秀吉と豊臣秀頼の体格の差は問題ないとする意見もあります。

豊臣秀頼の父親は大野治長。このことが噂の域をでないだけに、それを否定する意見も推測が多くなるのは致し方のないところかもしれません。

当時の豊臣秀吉の権力を考えると、やはり豊臣秀頼の父親は豊臣秀吉。そう考えるのが自然にも思えます。

また豊臣秀吉は若いころに浮気をして男児をもうけたとも伝えられています。ただし、浮気をしてできた子、そしてその子が幼年期に亡くなったことから、はっきりとした記録は残っていないようです。

以上のことを考えると豊臣秀頼の父親は豊臣秀吉。絶対とまでは言えませんがその確率は高いと思われます。

今は分かりませんが、現在のDNA鑑定のようなものがさらに進んで、いつかは真実の分かる日がくるかもしれないですね。


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