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維新の十傑には3つの説がある!特徴も簡単にご紹介します

はじめに

明治維新は約260年続いた江戸幕府が終焉し全く異なる政治体制を生み出した一種の革命です。そこには多くの人の関与があり、明治維新を迎えることができる人もいれば、その前に生涯を終えた人物も多数います。

ところで、後世、明治維新で活躍した人物を選んで「維新の十傑」と称するようになりました。

維新の十傑については一般的には一つの説が知られていますが、10人を選んだのは一人ではなく少なくとも三人いることがわかりました。つまり、維新の十傑については3つの説があるということになります。

そこで、この記事では下記のとおり維新の十傑として考えられる3つの説と、それぞれの特徴を簡単にご紹介することにしました。

 

1 山脇之人の維新の十傑

2 伊藤痴遊の維新の十傑

3 金澤正造の維新の十傑

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1 山脇之人の維新の十傑

山脇之人(ヤマワキユキト)は明治時代の作家と伝えられていますが、詳しいことはわかりませんでした。

山脇之人が1884年(明治17年)に著したのが「維新元勲十傑論(いしんげんくんじっけつろん)」で、ここに登場する人物が一般的には維新の十傑とされています。

それでは、維新元勲十傑論に挙げられた人物を一覧でご紹介します。

 
西郷隆盛(さいごうたかもり) 薩摩藩 1828年~1877年
大久保利通(おおくぼとしみち) 薩摩藩 1830年~1878年
小松帯刀(こまつたてわき) 薩摩藩 1835年~1870年
大村益次郎(おおむらますじろう) 長州藩 1824年~1869年
木戸孝允(きどたかよし) 長州藩 1833年~1877年
前原一誠(まえばらいっせい) 長州藩 1834年~1876年
広沢真臣(ひろさわさねおみ) 長州藩 1834年~1871年
江藤新平(えとうしんぺい) 肥前藩 1834年~1874年
横井小楠(よこいしょうなん) 肥後藩 1809年~1869年
岩倉具視(いわくらともみ) 公家 1825年~1883年
慶応3年12月9日(現在の暦では1868年1月3日)に王政復古が行われ明治政府が樹立されます。山脇之人の維新の十傑の大きな特徴は、すべての人物が明治政府樹立後も生きていたということです。

したがって著名な人物でも、明治維新を迎える前に亡くなっていた人はこの中に入っていません。

また、歴史の教科書などでは明治維新の原動力となったのは「薩長土肥」と記されていますが、山脇之人の維新の十傑の中に土佐は入っていません。

維新の十傑といった場合、山脇之人の維新元勲十傑論に登場する人物を示すことが一般的です。そして、明治維新三傑として西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の名前が示されることが多いとは思いますが、維新三傑も維新元勲十傑論の中でその3人が示されています。

2 伊藤痴遊の維新の十傑


 

 

 

 

 

 

伊藤痴遊(イトウチユウ、1867年~1938年)は政治家ですが、政治活動の一環として講釈師も務めた経歴を持つ人物です。

伊藤痴遊の維新の十傑については、1934年(昭和9年)に刊行された「実録維新十傑(じつろくいしんじっけつ)」に示されています。

それでは、実録維新十傑に挙げられた人物を一覧でご紹介します。

 
西郷隆盛(さいごうたかもり) 薩摩藩 1828年~1877年
大久保利通(おおくぼとしみち) 薩摩藩 1830年~1878年
木戸孝允(きどたかよし) 長州藩 1833年~1877年
勝海舟(かつかいしゅう) 幕臣 1823年~1899年
岩倉具視 (いわくらともみ) 公家 1825年~1883年
三条実美(さんじょうさねとみ) 公家 1837年~1891年
坂本龍馬 (さかもとりょうま) 土佐藩 1836年~1867年
中岡慎太郎(なかおかしんたろう) 土佐藩 1838年~1867年
吉田松陰(よしだしょうしん) 長州藩 1830年~1859年
高杉晋作(たかすぎしんさく) 長州藩 1839年~1867年
山脇之人の維新の十傑と、伊藤痴遊の維新の十傑で、同じなのは西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、岩倉具視の4人だけ。実に6人が入れ替わっています。

「薩長土肥」のうち、「肥」からは一人も選ばれていませんが、薩摩・長州・土佐からは複数で、公家や幕臣からも選出されています。山脇之人の維新の十傑よりもバランスが取れた選出であるように見受けられます。

また、山脇之人の維新の十傑は全員が明治政府樹立までは生き残っていたのに対して、伊藤痴遊の維新の十傑は、10人のうち坂本竜馬、中岡慎太郎、吉田松陰、高杉晋作の4人は明治維新を迎える前に亡くなっています。

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3 金澤正造の維新の十傑

金澤正造については詳しいことは分かりませんでした。金澤正造の維新の十傑については、1941年(昭和16年)に刊行された「維新十傑傳(いしんじっけつでん)」に示されています。

 
吉田松陰(よしだしょうしん) 長州藩 1830年~1859年
頼三樹三郎(らいみきさぶろう) 儒学者 1825年~1859年
有村次左衛門(ありむらじざえもん) 薩摩藩 1839年~1860年
高橋多一郎(たかはしたいちろう) 水戸藩 1814年~1860年
清河八郎(きよかわはちろう) 庄内藩 1830年~1863年
伴林光平(ともばやしみつひら) 国学者 1813年~1864年
平野国臣(ひらのくにおみ) 福岡藩 1828年~1864年
佐久間象山(さくましょうざん) 松代藩 1811年~1864年
高杉晋作(たかすぎしんさく) 長州藩 1839年~1867年
坂本龍馬(さかもとりょうま) 土佐藩 1836年~1867年
金澤正造の維新の十傑の最大の特徴は、幕末において思想家または革命家であったこと。そして、幕府に対して批判的であったことです。そのため、10人全員が明治維新を迎える前に生涯を閉じています。

また10人のうち病死をしたのは高杉晋作だけ。残りの9人は幕府に処罰されたり、戦いの中で命を落としています。

簡単にご紹介すると、吉田松陰と頼三樹三郎は安政の大獄、有村次左衛門と高橋多一郎は桜田門外の変で生涯を閉じています。また、清河八郎・佐久間象山は幕府に暗殺、伴林光平と平野国臣は死罪、坂本龍馬も犯人不明ながらも暗殺をされています。

金澤正造の維新の十傑は、明治維新を迎える前に不運の死を遂げた10人の志士という意味が強いように見受けられます。

まとめ


 

 

 

 

 

 

この記事では維新の十傑ということで、山脇之人・伊藤痴遊・金澤正造の3人が掲げる維新の十傑をご紹介してきました・

維新の十傑は定義があるわけではなく、どれが正しいのかを問うものでもありません。

山脇之人の維新の十傑が一般的に認知されているようで、そこから生まれた維新の三傑もよく知られています。ただ、3人が掲げる維新の十傑はそれぞれに個性があって特徴的なのも事実です。

何れにしても、3つの意見のうち1つは明治時代、後の2つは昭和の初期のころの意見です。今、改めて維新の十傑をあげたら、どのような人物が登場してくるのでしょうか。

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