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千利休の名言と辞世の句をご紹介
千利休といえば、現在の茶道の流派である表千家、裏千家、武者小路千家の祖とされる人物。茶聖と称されるとおり、茶道における代表的人物として知られています。
また、千利休は時の権力者である織田信長や豊臣秀吉に近づき、茶道の地位を高めた人物でもありますが、最終的には豊臣秀吉に切腹を命じられる。
非業の最期を遂げた人物としても有名です。
この記事では、そんな千利休が語ったとされる名言のいくつか。
そして辞世の句と言われるものについてと、それぞれの意味をご紹介をしていきます。
千利休の名言と意味
それでは千利休の名言と、それぞれの名言の意味を簡単にご紹介していきます。千利休の名言と意味 その1
「人の行く 裏に道あり 花の山、 いずれを行くも 散らぬ間に行け 」この言葉は千利休の名言と紹介されるとともに、相場の格言としても有名な言葉です。
この名言の意味は、2つに分けて考えることが出来ます。
まず「人の行く 裏に道あり 花の山」という上の句には次のような意味があるとされています。
花の山、つまりきれいな花を見たいのであれば、人が大勢歩いている表の道より、裏の道を行くべきである。
言い換えると、花を本当に楽しみたいのであれば、人が通らない裏の道を通るべきであるという意味になります。
また、下の句の「いずれを行くも 散らぬ間に行け」とは、表の道を行くにしても、裏の道を行くにしても、花が咲いている間に行かなければいけないという意味になります。
千利休は、相場を意識して詠んだけではないと思います。しかし、実際には相場の格言として有名な名言となっています。
この句を相場を前提に読み替えてみると、上の句は相場で儲けるのであれば人と同じことをしていてはダメ、むしろ人と逆の投資行動をとるべきであるという意味になります。
また下の句は、順張りをするにしても逆張りをするにしても、利益が出るうちに売買するべきという意味になります。
千利休が詠んだ花が、相場では利益という意味に置き換えられているのが、この名言のようです。
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千利休の名言と意味 その2 利休七則
千利休で最も有名な名言としてあげられるのが利休七則です。利休七則は茶道の基本を示したもので、茶道のおもてなしの心を7つの文章で示したものです。
この利休七則は
茶は服のよきように点て
炭は湯の沸くように置き
花は野にあるように生け
夏は涼しく冬暖かに
刻限は早めに
降らずとも傘の用意
相客に心せよ
という7つの文章で成り立ちます。
それでは、一つ一つを簡単にご紹介していきます。
七則の一 茶は服のよきように点て
お茶は「一服」という言い方をしますが、この「服」は飲むという意味になります。またお茶は抹茶を茶筅で振って作りますが、これが点てになります。「茶は服のよきように点て」には、お茶は飲む人が飲みやすいように作りなさいという意味が込められています。
七則の二 炭は湯の沸くように置き
お茶に必要なものがお湯。このお湯を作るのに欠かせないのが炭です。お茶を楽しむのに炭は裏方的な存在。炭は決して目立つ存在ではありませんが、絶対的に不可欠なもの。
目立たない存在であっても、お客様をもてなすのであれば、お客様からは直接見えない裏方的な存在であっても、決しておろそかにするなという意味が込められています。
七則の三 花は野にあるように生け
お茶を点てるときに欠かせないのが床の間の花の存在。この花を活けるとき、自然な雰囲気に大切にする。花のあるがままの魅力を素直に引き出すことが大切と語っています。
花は野にあるように生けには、お茶をお客様に楽しんでもらうためには、周りの環境にも心配りが必要という意味が込められています。
七則の四 夏は涼しく冬暖かに
お茶を楽しむには季節感も重要です。暑い夏の季節には打ち水などをして涼やかな雰囲気をだすなど、季節ごとの演出でお客様の心を楽しませることが大切という意味が込められています。
七則の五 刻限は早めに
お茶を楽しむためには「刻限は早めに」。つまり時間に余裕をもってお茶を楽しむことが大切という意味が込められています。お客様をおもてなしするためには、お茶の時間をゆとりをもって楽しんでいただくことが大切ということのようです。
七則の六 降らずとも傘の用意
お茶を楽しんでいたお客様が帰るとき、雨が降って傘がないと、その楽しさも興ざめとなります。お客様が最後まで満足をするように、雨が降っていなくても傘を用意しておくことを忘れないように。
お客様をもてなすときは、最後までおもてなしの心が大切であるという意味が込められています。
七則の七 相客に心せよ
七則のうち、6つまでは亭主からお客様に対するおもてなしの心について記されています。それに対して、最後の「相客に心せよ」はお客様同士の心の持ちようについて書かれています。
茶席という一つの世界を堪能するためには、お客様同士がお互いを尊重することが大切という意味が込められています。
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千利休の辞世の句と意味
千利休は豊臣秀吉により切腹を命じられました。その切腹の前日に詠んだものが一般には辞世の句として知られています。
千利休の辞世の句は、正式には遺偈(ゆいげ)と言われています。
遺偈(ゆいげ)は書くのも読むのも難しい言葉ですが、禅僧が死に臨むのに際して弟子などに教訓として残した言葉という意味があるようです。
それでは、千利休の遺偈とその意味を簡単にご紹介します。
人生七十 力囲希咄 (じんせいしちじゅう りきいきとつ)
吾這寶剣 祖佛共殺 (わがこのほうけん そぶつともにころす)
堤る我得具足の一太刀 (ひっさぐる わがえぐそくのひとたち)
今此時ぞ天に抛(いまこのときぞ てんになげうつ)
千利休の辞世の句、正式には遺偈は難しい言葉。さらにその内容も上記のとおり、読むことからして難しい言葉が並んでいます。
そのため千利休の遺偈にはさまざまな解釈もあるようですが、その意味は概ね次のとおりのようです。
人生70年。これまで悲喜こもごも様々なことがあったが、これで終わり。
私が持つ宝剣を使い、祖仏とともに私もその生涯を終える。
上手に使いこなせるこの武器をもって、自らに一太刀を浴びせる。
そして、自らの命を天に放とうではないか。
あまりにも難しいので、本当の意味は少しばかり異なるのかもしれませんが、意訳すると概ねこのようになると思われます。
この遺偈が後進に何を伝えようとしたのか、その真意をつかみきることはできません。
ただ、千利休が死に臨んで相当の覚悟と信念があったことは、この言葉から読み取ることができる。
そんな気がします。
さいごに
この記事では千利休の名言と辞世の句。それぞれの意味などについて簡単にご紹介をしてきました。ところで、千利休が亡くなったのは豊臣秀吉に自害を命じられたから。
千利休がなぜ豊臣秀吉に切腹を命じられたのか。その理由は諸説ありますが、必ずしも明確ではありません。
ただ、千利休に自害を命じた豊臣秀吉自身が、後になってこの命令を出したことを悔やんでいること。
これはどうやらはっきりとしているようです。
千利休は個人としての事績だけでも十分に後世に名を残す人物であったことは間違いありません。
さらに時の権力者に対峙し、切腹を命じられながらも、決して自分の信念を曲げなかった。
この信念の強さが千利休の名前を不動にした。そのようにも思われますがいかがでしょうか。
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