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日本三大饅頭(まんじゅう)は東京と岡山と福島!

日本三大饅頭(まんじゅう)は東京と岡山と福島

この記事では日本三大饅頭(まんじゅう)についてご紹介をします。

ところで、日本三大というのは数多くありますが、その多くは公式に認められたものではないようですし、三大と言っても候補がそれ以上あるのも一般的です。

では、日本三大饅頭はどうでしょうか。

日本三大饅頭も公式に認められたものではありません。ただ、日本三大饅頭については概ね次の3つが候補に挙がっています。

それは、東京と岡山と福島です。

では、どうして日本三大饅頭が東京と岡山と福島になったのでしょうか。

その理由はある一冊の本にあるようです。その本とは三笠書房が出版する『日本の「三大」なんでも事典』です。

この本の中に日本の三大饅頭について記載した部分があり、日本三大饅頭を東京と岡山と福島のまんじゅうということで紹介をしています。

公式ではないけれど一冊の本で明確に記述をしている。そして、この意見に対しての明確な批判はあまり見受けられない。

そこで、この記事では『日本の「三大」なんでも事典』の記述に従い、東京と岡山と福島のまんじゅうのそれぞれの特徴について簡単にご紹介をさせていただきます。

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日本三大饅頭1 東京の志ほせ饅頭

東京の志ほせ饅頭を製造しているのは、東京都中央区明石町に本店を置く塩瀬総本家です。

志ほせ饅頭の歴史は古く1349年に遡ります。時代でいえば室町幕府初代将軍足利尊氏の時代。また、朝廷が南朝と北朝に分かれていた南北朝時代でもあります。

志ほせ饅頭の考案者は宋の国から日本にわたってきた林淨因。林淨因は中国の「饅頭(マントゥ)」と言われる食べ物に着想を得て作ったのが志ほせ饅頭の始まりと言われています。

中国の饅頭は皮の中に肉を詰めたもの。しかし、僧籍にあるものは肉食が禁止されているということで、中に小豆から作った餡を入れ、周りを皮で包み、それを蒸してお菓子を作った。

林淨因が新たなお菓子を考案し、それを奈良の寺院を中心に大人気で、朝廷にも献上されるほどになりました。

林淨因が亡くなって後はその子孫が引き継ぎ、その後、奈良と京都に分かれて営業を続けます。

ところが、応仁の乱を契機に京都の子孫は京都を離れざるを得なくなりました。その移った先が三河国の塩瀬村。林家の子孫はここで姓を「塩瀬」に改めています。

その後、塩瀬家は京都に戻り饅頭作りを再開。塩瀬饅頭は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など当時の有力武将にも愛好されています。

そして1600年の関ヶ原の合戦後、塩瀬家の一部は江戸に移り住みます。江戸に移った塩瀬家は代々の屋号を「塩瀬」とし、それが現在の塩瀬総本家になっています。

志ほせ饅頭は一口薯蕷饅頭が特徴と言われています。薯蕷饅頭とは皮の部分にすった山芋を入れ込んだまんじゅうのこと。

志ほせ饅頭はサイズは小ぶりでも、山芋のしっとりとした感触を味わえるまんじゅうという特徴があるようです。

また、志ほせ饅頭は中の餡の甘さが控え目で、製造は手作り。甘すぎない上品な味わいと、丁寧な作業が数百年の歴史を築き上げてきているようです。

日本三大饅頭2 岡山の大手まんぢゅう

岡山の大手まんぢゅうを製造しているのは大手饅頭伊部屋。

大手まんぢゅうの歴史は1837年に遡ります。時代でいえば11代将軍徳川家斉が亡くなり、12代将軍徳川家慶に変わった年。また、同年は大塩平八郎の乱が起こった年でもあります。

岡山の大手まんぢゅうは大手饅頭伊部屋(いんべや)の初代である伊部屋永吉が考案したと伝えられています。

大手まんぢゅうは甘酒を作るところから始まります。完成した甘酒と小麦粉を調合し発酵。それが大手まんぢゅうの生地になります。

その生地の中に餡をくるみ蒸しあげたのが岡山の大手まんぢゅう。

岡山の大手まんぢゅうは酒饅頭の一種で、甘酒のコクと餡の甘さが特徴。また品質にこだわるところから販売も地元が中心。

バランスが絶妙ということと、新鮮さにこだわるということが、今でも人気があるまんじゅうとなっている最大の要因のようです。

なお、大手まんぢゅうの名前の由来は、店の場所が岡山城大手門の近くにあったため。

当時、岡山城を居城としていたのは池田氏。池田氏にも伊部屋のまんじゅうが愛好されていたということで、藩侯から大手まんぢゅうという名称が与えられたと言われています。

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日本三大饅頭3 福島の薄皮饅頭

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日本三大饅頭というよりも饅頭の中にあっては定番中の定番。そう言っても差し支えなさそうなのが、福島県郡山市に本拠をおく柏屋です。

日本には数多くの温泉地があります。温泉地の多くで土産物として温泉饅頭を販売しています。

温泉饅頭の多くは茶色い生地の中に黒い餡が入っていますが、この原型とも言われているのが福島の薄皮饅頭です。

福島の薄皮饅頭の歴史は比較的新しく1852年。時代でいえば13代将軍徳川家定が亡くなり、14代将軍徳川家茂に変わった年。

江戸幕府は1868年になくなっていますから、薄皮饅頭が考案されたのはまさに幕末の動乱期になります。

薄皮饅頭の考案者は柏屋の初代善兵衛。

善兵衛の考案した薄皮饅頭は、その名の通りたっぷりのこしあんを薄い皮で包んだもの。今でこそ一般的な饅頭とも言えそうですが、当時としては画期的。当時の奥州街道の名物になっていました。

太平洋戦争終結後、材料が確保できないということで、製造を中止していた時期もあったようですが、1963年に薄皮饅頭を自動的に製造する機械を開発。

現在では、東北地方を中心にいくつもの支店を構えるまでになっています。

個人的なことを書かせていただくと、柏屋の薄皮饅頭は大好物。福島には数年に1回しか行きませんが、その手前の那須などでも薄皮饅頭が販売されているので、機会があれば必ず購入するようにしています。

福島の薄皮饅頭は私にとっても定番中の定番。そのような存在です。

さいごに

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この記事では日本三大饅頭ということで、東京の志ほせ饅頭、岡山の大手まんぢゅう、福島の薄皮饅頭をご紹介してきました。

日本三大饅頭は必ずしも公式的なものではありません。

ただ、すべてのまんじゅうにはある程度の歴史があり、そしてそれぞれのまんじゅうにはそれぞれに異なる特徴があります。

日本三大饅頭と言われるだけあって、場所は東京と岡山と福島と場所も離れています。

3つのまんじゅうをすべて食べるのは案外と難しいかもしれませんが、いつかはすべてを食べてみたいと思っています。


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