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はじめに
この記事では、ねずみ小僧次郎吉は義賊だったのか。そして、ねずみ小僧次郎吉のお墓は、なぜ人気があるのかについてお伝えをしていきます。ねずみ小僧次郎吉は、江戸時代の庶民でありながら今でもその名を知られています。
ねずみ小僧次郎吉の職業(?)は盗賊。しかし、単なる盗賊ではなく義賊として知られています。
では、ねずみ小僧次郎吉は本当に義賊だったのでしょうか。
また、ねずみ小僧次郎吉のお墓は東京両国の回向院にありますが、毎日のようにお墓参りに多くの人が訪れています。
なぜ、ねずみ小僧次郎吉のお墓は今でも人気があるのでしょうか。
ねずみ小僧次郎吉とは
ねずみ小僧次郎吉は実在の人物です。江戸時代の後期にあたる1797年に生まれ、1832年に亡くなっています。次郎吉の本職はとび職と伝えられています。しかし、博打におぼれ、身を持ち崩し、盗賊になります。
盗賊を専業としていたねずみ小僧次郎吉。ねずみ小僧次郎吉は2回捕縛されています。
最初は盗人稼業を始めてから2~3年後。もっともこの時は盗みをしたのは初めてと言い逃れ、追放刑という軽い処分で済んでいます。
追放されたねずみ小僧次郎吉は一度は大坂に行きますが、極秘裏のうちに江戸に舞い戻り、以前と同じように盗みを繰り返します。そして7年後、捕縛をされて市中引き回しの上獄門の刑に処せられます。
ねずみ小僧次郎吉の盗人稼業は概ね10年間。この間に、盗んだお金は1万1000両。金額については諸説あるものの、何れにしても相当の金額であったことがわかります。
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ねずみ小僧次郎吉は義賊なの
ねずみ小僧次郎吉が処刑される時、多くの見物客が引き回しされる道沿いに集まったと言われています。盗賊なのに江戸庶民の人気が高かったことがうかがえます。
では、ねずみ小僧次郎吉は義賊だったから人気があったのでしょうか。どうやらこの辺りは疑問が残りそうです。
ねずみ小僧次郎吉が盗みに入ったのは、主に大名屋敷。商家はもちろん一般の庶民の家に盗みに入ることはなかったようです。
これは当時の庶民から見たら痛快なこと。いつも威張っている大名が困窮している。そんな思いがねずみ小僧次郎吉の人気を押し上げて、ねずみ小僧次郎吉を義賊と讃えるようになったようです。
では、ねずみ小僧次郎吉はなぜ大名屋敷ばかりを狙ったのでしょうか。
ねずみ小僧次郎吉は大名を懲らしめたいがために大名屋敷ばかり狙ったという意見もありますが、これはどうも違うようです。
当時、お金を持っていたのは商家。そのため商家の警戒は厳しく、盗賊に対する備えも厳重なものでした。
一方、大名屋敷は敷地は広大であり、財政難もあって警戒は緩やか。しかも面子があるので、盗賊に入られたことを隠す傾向がある。
ねずみ小僧次郎吉が大名屋敷ばかりを狙ったのは、商家に盗みに入るよりもはるかに楽だから。これが、ねずみ小僧次郎吉が大名屋敷を狙った最大の理由のようです。
ねずみ小僧次郎吉は庶民の味方ということで人気があり義賊とも讃えられましたが、ねずみ小僧次郎吉は大名を懲らしめたいという理由で大名屋敷に押し入ったわけではない。
どうやら、このあたりがより真実に近いようです。
また、ねずみ小僧次郎吉は大名から盗んだお金を貧しい庶民に配ったと言われ、そのこともねずみ小僧次郎吉を義賊と評価する大きな原因となっています。
しかし実際のところ、ねずみ小僧次郎吉は盗んだお金を庶民に配ったりはしていません。
では、ねずみ小僧次郎吉は盗んだお金を何に使ったのでしょうか。答えは簡単です。博打を含む遊興費に全部使った。これが真実だと伝えられています。
ねずみ小僧次郎吉は捕縛された時に、遊興費にすべてを使ったと自白しています。また、庶民に配ったのではないかと尋問されたとき、ねずみ小僧次郎吉はそんなお人よしではないとも答えています。
穿った見方をすれば、ねずみ小僧次郎吉は実際に庶民にお金を配った。しかし、本当のことを語ると庶民に迷惑がかかる。
それを避けるために、ねずみ小僧次郎吉自身は悪役に徹して処刑されたという意見もありますが、果たしてどうでしょうか。
どちらが真実なのか。今となってはわかりません。
ただ、警備が手薄であるという理由で大名屋敷ばかりを狙ったこと。そして、ねずみ小僧次郎吉自身は博打で身を持ち崩してしまったこと。
この2つの事実を考えると、ねずみ小僧次郎吉が義賊だったのかということについては、どうも疑問が残るようです。
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回向院にあるお墓はなぜ人気なの
ねずみ小僧次郎吉のお墓は、東京両国の回向院にあります。回向院は元より人気の高い寺院ですが、その中でもねずみ小僧次郎吉のお墓については参拝者が絶えることがありません。
では、どうしてねずみ小僧次郎吉のお墓は人気があるのでしょうか。
ねずみ小僧次郎吉のお墓は、その前にお前立てがあります。お前立てはねずみ小僧次郎吉のお墓を守るために、お墓の前に建てられたもので、このお前立ても石で作られています。
しかし、墓石と決定的に異なるのは硬さ。お前立ての石はとても柔らかく、簡単に削ることができるようになっています。
多くの参拝客はこの石を削り、そのかけらを持ち帰ります。
それは、かけらにご利益があるためで、具体的には次のようなご利益があると言われています。
一般の参拝者がかけらを持ち帰ると「運がつく」。
賭け事の好きな人が持ち帰ると「賭け事に勝つ」。
受験生が持ち帰ると「するりと入れる=合格する」。
ねずみ小僧次郎吉は最後は処刑されてしまいますが、少なくともそれ以前の10年間は大胆な盗人稼業を続けていました。
そうした実績がご利益に結び付き、今でも回向院にあるねずみ小僧次郎吉のお墓は人気が高いようです。
さいごに
この記事では、ねずみ小僧次郎吉は義賊なのか。そして回向院にあるねずみ小僧次郎吉のお墓は、なぜ人気なのについてお伝えをしてきました。
回向院は東京両国にあります。近くには両国国技館や江戸東京博物館など、さまざまな観光スポットがあります。
それぞれの距離も近いのでお散歩感覚で訪ねてみてはいかがでしょうか。
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