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この記事では、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の代表作品を簡単にご紹介します。
近松門左衛門は1653年に生まれ、1724年に亡くなっています。
近松門左衛門は江戸時代の初期に活躍した人物。で、人形浄瑠璃の作者として多くの作品を残しています。
そこで、近松門左衛門の代表作品をご紹介する前に人形浄瑠璃とは何かについて簡単にご紹介し、その後、近松門左衛門の代表作品をご紹介させていただきます。
目次
人形浄瑠璃とは
人形浄瑠璃は、現在は「文楽」で知られています。文楽の祖ともいえるのが人形浄瑠璃で江戸時代初期に生まれています。そして、人形浄瑠璃は近松門左衛門の作品とともに有名となり、その歴史は現在に至るまで脈々と受け継がれています。
人形浄瑠璃の隆盛は近松門左衛門だけによるものではありませんが、近松門左衛門が大きな役割を果たしたのは間違いのないところです。
人形浄瑠璃はもっとも簡単に言えば人形劇。人形劇の伝統芸能といったところでしょうか。
人形浄瑠璃は、物語を語る「太夫」、劇の効果を高める「三味線」、主役である人形を操る「人形遣い」の「三業(さんぎょう)」で構成されています。
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近松門左衛門の代表作品
それでは近松門左衛門の代表作品のいくつかを簡単にご紹介していきます。代表作品1 出世景清(しゅっせかげきよ 1685年)
出世景清は平家に従っていた藤原景清が、平家滅亡後も源頼朝の命を狙い苦悩する物語です。藤原景清は実在の人物ですが、実際は壇ノ浦の戦い後に捕えられ、絶食して亡くなったとも伝えられています。
藤原景清は武芸に優れ「悪七兵衛」の異名を持っていたようですが、「悪」には力強いという意味もあります。
藤原景清に伝えられる勇猛さが、近松門左衛門の出世景清に結び付いたのでしょうか。
代表作品2 曾根崎心中(そねざきしんぢゅう 1703年)
曾根崎心中は近松門左衛門の代表作品のなかでもとりわけ有名です。物語の舞台は大坂。女郎の初と商店の手代の徳兵衛の無理心中が物語の題材になっています。
人形浄瑠璃は、歴史を題材にした「歴史物」と、俗世間の話題を題材にした「世話物」があります。
曾根崎心中より前の人形浄瑠璃は歴史物が中心でしたが、曾根崎心中により世話物も脚光を浴びるようになったと言われています。
代表作品3 冥途の飛脚(めいどのひきゃく 1711年)
冥途の飛脚は実際の物語を脚色した世話物で三段で構成されています。曾根崎心中とともに近松門左衛門の世話物の代表作品として知られています。
商家に養子に出されていた忠兵衛が、遊女の梅川を身請けするため店のお金を流用します。
本来は大名に届けるはずの300両を、梅川を身請けするために使ってしまったことから大きな問題に発展。
忠兵衛と梅川は、忠兵衛の実家まで逃亡を図ります。
そのあたりの人情の機微を描いた秀作として、冥途の飛脚は評価を得ているようです。
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代表作品4 国性爺合戦(こくせんやかっせん 1715年)
国性爺とは中国の明時代に実在した軍人「鄭成功(ていせいこう」を題材にした物語です。鄭成功は明時代末期の軍人で、新興の清に抵抗した人物として知られています。
鄭成功は、最終的には台湾に渡りますが、現在でも鄭成功の俗称「国姓爺」で親しまれています。
近松門左衛門は「国姓爺」を「国性爺」と置き換えて歴史物としての物語を創作しています。
代表作品5 心中天網島(しんじゅうてんのあみじま 1720年)
心中天網島は全3段からなる世話物の作品です。近松門左衛門は世話物の作品を多数創作していますが、中でも心中事件を取り上げた作品は特に評価が高いようで、心中天網島も近松門左衛門の傑作と言われています。
心中天網島は紙屋の治兵衛と女郎小春の物語。
治兵衛には妻も子供もありますが、女郎の小春に入れあげています。
物語は治兵衛を中心に、妻のおさん、女郎の小春、そして治兵衛の親族が入り乱れる義理と人情の物語に仕上がっています。
代表作品6 女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく 1721年)
女殺油地獄は、大坂の油屋河内屋徳兵衛の息子与兵衛を中心とした物語です。与兵衛は放蕩三昧で徳兵衛から勘当されるも放蕩はおさまらず、結果的に徳兵衛の同業者である豊島屋の妻お吉を殺してしまう物語です。
与兵衛はお吉殺しを隠そうと画策しますが、最終的には事が露見して捕えられます。
与兵衛がお吉を殺害したときに、側にあった油壷が倒れ油が散乱。その中で殺害に及んだことから与兵衛は油まみれになります。
そうした状況が「女殺油地獄」という題名につながったとされています。
さいごに
近松門左衛門は、江戸時代初期の人形浄瑠璃の作者として知られています。
近松門左衛門の生きた時代は人形浄瑠璃の黎明期。近松門左衛門が人形浄瑠璃を発展させたといっても過言ではないようです。
近松門左衛門はその生涯で100作を超える作品を残したと言われています。今回はそのうちの6作品を取り上げたにすぎません。
ただ、近松門左衛門の代表作品といって簡単に6作品もでてくる。やはり近松門左衛門は江戸時代の代表作家と言えるのではないでしょうか。
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