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真田幸村の名言3つとその意味を簡単にご紹介します!

戦国時代最後の名将 真田幸村

真田幸村は大阪冬の陣と夏の陣で豊臣方につき、徳川家康を窮地に陥れた戦国時代最後の名将として知られています。

歴史の中で勝者か敗者かと問われれば敗者で、敗者については歴史上その事跡が残らないことも多いようですが真田幸村は別格。

豊臣家に対する忠義とその潔さから今でも多くの歴史ファンに愛され、事績や名言などが今に伝えられています。

この記事では真田幸村の名言を3つ取り上げ、その名言の意味から人となりを考えたいと思います。

名言その1 十万石では不忠者にならぬが一国では不忠者になるとお思いか

真田幸村は大坂冬の陣で大坂城唯一の弱点を見つけて、そこに真田丸という防御陣地を作りました。実際、冬の陣では真田丸の存在が徳川方を大いに悩ませたと言われています。

その冬の陣が終わった後、徳川家康は真田幸村の武勇を恐れて懐柔に乗り出します。

このときの最初の条件が徳川方の味方につけば真田幸村に10万石を与えるというものでした。真田幸村がこれを一蹴すると、徳川家康は条件をつりあげ信濃一国をあてがうから味方につくようにと再度説得に乗り出します。

このときに語られた名言が「十万石では不忠者にならぬが一国では不忠者になるとお思いか」という言葉です。

真田幸村は豊臣家に対する忠義の士として知られていました。 そして豊臣家をつぶそうとする徳川家康に強い敵意を抱いていたとも考えられます。

真田幸村が利にさといだけの武将なら10万石でも豊臣家を裏切った可能性はあります。しかし、真田幸村は利よりも理で動く人物。

真田幸村にとっての道理が豊臣家に対する忠義だとしたら、徳川家康がいくら利で誘おうとしても絶対にその信念が揺らぐことはなかったはずです。

この名言は真田幸村の覚悟を示すとともに、利で誘おうとした徳川家康に対する強烈な批判という意味も込められていたと考えられそうです。

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 名言その2 定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候

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これは真田幸村が義兄にあてた手紙の一節と言われています。 出された時期は冬の陣が終わり夏の陣が始まる前。

冬の陣が終わった時、豊臣方の諸将の多くは講和に反対したと伝えられていますが真田幸村もその一人。 しかし、実際に講和されたとき真田幸村はその段階で死を覚悟していたと言われています。

それが、この文章に言い表されています。

「定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候」の意味は「定めない浮世のことなので、一日先のことは私自身にも分かりません」というもの。

この文章から楽観的な雰囲気は漂ってはきません。 むしろこのままでは済まないという感じがにじみ出ています。 また、この文章からは直接に読み取れないにしても、真田幸村には冷静な現状分析ができていたはす。

推測にすぎませんが、この文章は真田幸村自身が死を覚悟していた名言のように思われます。

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名言その3 関東勢百万と候え、男は一人もなく候

この言葉は豊臣家が滅亡した夏の陣で真田幸村が発した言葉として伝えられています。

夏の陣は最初から結果が分かっていた戦です。 天下の名城と言われた大坂城は冬の陣で周囲の堀が埋められ防御力のない城になっていました。

冬の陣は籠城戦という選択肢もありましたが裸城で籠城は無理。夏の陣は最初から野戦しかありえない状況でした。

野戦となれば兵力の差がそのまま勝敗に結び付きます。冬の陣に参加していた豊臣方の武将も敗戦確実とあってその数を減らし、兵力には格段の差がありました。

この時期に行われたのが夏の陣における道明寺の戦いです。道明寺の戦いで真田幸村勢は伊達政宗勢と相対します。両軍は激突しますが結果は真田幸村の勝利。

このときの名言が「関東勢百万と候え、男は一人もなく候」です。

この言葉の意味は「関東武者は百万人いても、その中に男子は一人もいないものだな」というもので、相手を強く揶揄した言葉となります。

この言葉は伊達軍の弱さを嘲笑するとともに、味方の強さを称賛する名言として知られています。

しかし、真田幸村自身はすでに豊臣方の敗戦を覚悟していたはずですし、実際に道明寺の戦いがあった翌日には真田幸村自身が討死をしています。

道明寺の戦いは真田幸村自身にとっても最後の輝きを見せた戦。 そのように考えると、この名言は一層の奥行きの深さを感じさせてくれます。

まとめ

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真田幸村は慶長20年5月7日に49歳の生涯を閉じています。

真田幸村は歴史上有名な人物としてその名を残していますが、人生でもっとも注目されたのが豊臣家に対する忠義を貫いた最後の1年。 そのため真田幸村の名言もこの時期に集中しているようです。

ただこの1年の名言の数々で真田幸村の人となりを感じることができます。真田幸村、敗者とはいえとても魅力的な人物だったのではないでしょうか。

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