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はじめに
この記事では、井伊直平と井伊直盛について、簡単にご案内します。血縁関係で見ていくと、井伊直平の孫が井伊直盛。井伊直平と井伊直盛は祖父と孫という関係になります。
また、おんな城主として有名な井伊直虎から見ていくと、井伊直平は曾祖父、井伊直盛は父になります。
井伊直平と井伊直盛
井伊氏の系図を見ると、始祖は平安時代まで遡ることができます。井伊氏そのものは小さな勢力で、常に周辺の大きな勢力に寄り添わなければ生きていけないような立場でしたが、それでも命脈は保っています。
井伊直平は井伊家の第20代にあたり、井伊直盛は第22代になります。
第20代の井伊直平の生年は諸説あってはっきりとしませんが、没年は1563年。
この記事ではあまり触れませんが、その後継たる第21代は井伊直宗。井伊直宗の生年はやはり明らかでなく、没年は1542年になります。
そして第22代の井伊直盛は、生年が1526年で、没年が1560年になります。
第21代の井伊直宗は、井伊家当主となったものの、若くして戦場で命を落としています。
そこで、この記事では戦国時代の井伊家の命脈を必死になって保っていた、井伊直平とその孫である井伊直盛について、記事を書き進めていきます。
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井伊直平の時代
井伊直平が生きた時代は戦国時代の初期。井伊家は隣接する今川氏から干渉を受け、井伊直平は今川氏に臣従します。
こうした場合、井伊氏から今川氏に人質を差し出すことになりますが、井伊直平は娘を人質に差し出します。
余談ですが、この娘は後に今川氏の重臣である関口氏に嫁ぎ、この夫婦の間に生まれたのが瀬名、後の築山殿になります。
井伊氏は、今川氏に臣従することで立場を確保することができましたが、戦に際しては常に今川氏の先鋒を務めなければなりませんでした。
井伊直平が、息子の井伊直宗に家督を譲った時期は定かではありません。しかし、家督を譲られた井伊直宗にしても父と立場は同じ。
今川氏が三河に侵攻したときも先鋒を務めなければなりませんでした。
そして1542年の三河の田原城攻撃でも先鋒を務め、この戦場で井伊直宗は討死を遂げてしまいます。
父の井伊直平よりも、先に旅立ってしまった井伊直宗。
井伊直平がまずしなければならなかったのは井伊家の後継者選び。井伊直平が井伊氏の後継に指名したのが井伊直宗の子、井伊直盛です。
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井伊直盛の時代
井伊直宗が討死したことで、その子である井伊直盛が井伊家第22代になります。
もっとも立場が変わるわけでもなく、井伊氏は相変わらず今川氏に臣従を続けています。
この時代、具体的には今川義元の時代に今川氏の勢力は最大となります。
今川氏は北の武田氏、東の北条氏と縁戚関係を結び、三国同盟を締結することに成功。残る敵は西の織田氏になります。
そして起こったのが1560年の桶狭間の戦い。
桶狭間の戦いでは、戦力的にははるかに劣る織田信長が、奇襲攻撃で今川義元を討ち取った戦として有名です。
桶狭間の戦いでは、大将の今川義元だけでなく今川氏の有力武将も数多く討ち取られていました。
桶狭間の戦いでも先鋒を務めていた井伊直盛もその一人。井伊直盛は桶狭間の戦いで命を落としてしまいます。
なお、諸説ありますが井伊直盛は、享年36と伝えられています。
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再び井伊直平の時代
井伊直盛が残した子供は女の子ただ一人。この時代、女性のしかも少女が後継者になることなど考えられませんでした。そこで井伊家の第23代となったのが、井伊直盛にとっては甥にあたる井伊直親。
井伊直親は、井伊直盛の生前に井伊直盛の養子となっていたことから、すんなりと第23代におさまっています。
しかし、井伊直盛は当時の井伊家の重臣で、もっとも勢力のあった小野政次とは反目していました。
小野政次は今川義元亡き後、その後継者である今川氏真に、井伊直盛が今川氏に対して謀叛を画策していると讒言。
井伊直親は弁明のため駿河の今川氏真の元に赴く途中、今川家重臣の朝比奈泰朝に謀殺されてしまいます。
これが1563年のこと。
井伊直親が亡くなったことにより、井伊氏には男子の後継者がいなくなってしまいました。
そこで井伊直平がとった策が、井伊直平自身の返り咲き。隠居の身であった井伊直平が再び井伊氏の当主になります。
なお、このとき井伊直平は74歳頃ではなかったかと伝えられています。
再び、井伊家の当主になった井伊直平でしたが、その期間はそれほど長いものではありませんでした。
1563年、今川氏真の命により出陣した井伊直平ですが、その途中で毒殺をされてしまいます。
さいごに
第20代井伊直平、第21代井伊直宗、第22代井伊直盛、第23代井伊直親、そして井伊直平の再登板。
この記事では、井伊氏当主の座を2度務めた井伊直平と、当主である期間が長かった井伊直盛を中心に記事を書き進めてきました。
ところで、今川氏に臣従しながらも戦国時代を生き延びてきた井伊氏ですが、井伊直平の死をもって井伊家には後継者たる男子がいなくなってしまいます。
そこで登場したのが前述の井伊直盛の娘。
井伊直平の後を受け、この女性が井伊直虎と改名。のちに井伊直虎は、おんな城主と言われるようになります。
井伊直虎は、井伊直親の子である後の井伊直政が成長して、徳川家康の家臣となり出世を果たしていくと、あっさりと井伊直虎の名前を捨て尼僧となって生涯を終えています。
そして井伊直政は、徳川家康の元で徳川四天王の一人として活躍するとともに、江戸時代に続く名門井伊氏の基礎を作り上げていきます。
戦国時代の井伊家は、風前の灯のようなちっぽけな存在。
しかし、どうにか生き延びたからこそ、後の井伊氏の隆盛につなげることができた。
そうしたことを考えると、井伊直平と井伊直盛の役割は決して小さくはなかったように思われます。
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