スポンサーリンク
松浦武四郎の略歴
この記事では、北海道の名付け親といわれる松浦武四郎(まつうらたけしろう)の生涯をわかりやすくご案内していきます。まずは、松浦武四郎の略歴をご紹介します。
1818年(文化15年) | 伊勢国(現在の三重県松阪市)に生まれる。 |
1838年(天保9年) | 肥前国(現在の長崎県平戸市)で僧侶になる。 |
1844年(弘化元年) | 還俗して蝦夷地探検に赴く。 |
1855年(安政2年) | 江戸幕府の命により蝦夷地の調査を行う。 |
1869年(明治2年) | 明治政府に仕えて、蝦夷地を北海道と命名する。 |
1870年(明治3年) | 明治政府の職を辞する。 |
1888年(明治21年) | 脳溢血により死去。 |
スポンサーリンク
松浦武四郎と北海道の関わり1 明治維新まで
松浦武四郎は、1818年に伊勢国で庄屋の子として生まれます。
第四男なので跡継ぎではありませんでしたが、それでも比較的裕福な少年時代を過ごしたと言われています。
その後1838年には一旦は僧侶になるものの、1844年には還俗し蝦夷地探検に赴きます。
松浦武四郎と、当時は蝦夷地と言われた北海道の関わりは、この時から始まります。
北海道への数度の探検の実績を評価され、1855年には江戸幕府に命じられて蝦夷地を探検。
合計6回にも及ぶ探検を経て、1859年(安政6年)には東西蝦夷山川地理取調図(とうざいえぞさんせんちりとりしらべず)を作成しています。
東西蝦夷山川地理取調図は全28冊の折りたたみ図で、北海道だけでなく国後島や択捉島までが記載されています。
また、内陸部も河川や湖沼だけでなく、アイヌ語による地名も細かく表記されています。
スポンサーリンク
松浦武四郎と北海道の関わり2 北海道の名付け親になるまで
江戸幕府が倒壊し明治政府になると、松浦武四郎は改めて開拓使として新政府に仕えることになります。このときに起きたのが蝦夷地の命名問題。
江戸時代までの蝦夷地という呼称が北海道に変わったのは1869年(明治2年)のことですが、ここではその経緯について簡単にお伝えをしていきます。
蝦夷地の改称が行われたのは「蝦夷地開拓会議」。その議論の場に松浦武四郎が出したのは全部で6案あります。
1 北加伊道
2 日高見道
3 海北道
4 海島道
5 東北道
6 千島道
松浦武四郎の6案にはすべて「道」の字が用いられています。どうして北海道は府や県ではなく道の字を用いたのでしょうか。
道は古代中国の行政区画名に基づくもので、道は国よりも広い地域を指すものとも考えられています。
国というのは現在の概念とは異なり伊勢国とか肥前国で、こうした国々は明治になりさらに細分化され府や県になっていきました。。
しかし、蝦夷地は他の県や府よりもはるかに広いので、松浦武四郎の案ではすべてに道が用いられていたと思われます。
最終的に、松浦武四郎の案が採用されて蝦夷地は北海道になります。
松浦武四郎が提案をしたのは北加伊道です。
加伊という字は、アイヌの人たちが自分たちのことを「カイ」と呼んでいたので、それに加伊という漢字をあてはめたものと言われています。
この「加伊」を「海」に変更して、北加伊道は北海道となります。
昔より日本には、東海道、西海道、南海道という呼称がありました。
北海道もそれと同様に名付けられたと思いがちですが、北海道という呼称はそれまで存在しなかった。
明治になり松浦武四郎が提案した北加伊道を、語呂合わせのように北海道に直したというのが、現在の北海道のそもそもの由来のようです。
さいごに 北海道に寄り添う松浦武四郎
松浦武四郎は生涯で多くの著述を残していますが、その中で和人がアイヌの人々に対して虐待を繰り返していたことが記されています。
それに対して、松浦武四郎はむしろアイヌの人々に寄り添い、アイヌの人に対する態度を改めさせようと努力をしたとも伝えられています。
1870年、松浦武四郎は明治政府の職を辞していますが、これもアイヌを引き続き虐げようとする、明治政府に対する抗議の意味があったと考えられています。
松浦武四郎はアイヌの人を愛し、北海道を愛した人です。
たとえば、自らの雅号を「北海道人」としていたことはよく知られている話です。
また、北海道の地名は独特なものが多いようですが、本来、この地名はすべてアイヌの言葉。
明治になり地名をつけなければいけなくなった時、それまでのアイヌの言葉で普及していた地名に、漢字をあてはめたのが松浦武四郎です。
たとえば、札幌・釧路・日高・北見・宗谷・空知・夕張など、北海道の地名の多くはアイヌ語が由来となっていますが、松浦武四郎はこの由来を尊重して読みやすい漢字に当てはめて残したとも言われています。
松浦武四郎は必ずしも知名度の高い人物ではありませんが、北海道に寄り添う松浦武四郎がいたおかげで、現在の北海道の礎ができたのではないでしょうか。
スポンサーリンク
スポンサーリンク