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西郷隆盛の名言と意味について調べてみました

西郷隆盛とは

この記事では西郷隆盛の名言と意味について調べています。

ところで、西郷隆盛とはどのような人物なのでしょうか。

西郷隆盛は1828年に生まれ、1877年の西南戦争で亡くなります。

享年49歳。

西郷隆盛は同じ薩摩の大久保利通や長州の木戸孝允と並び維新三傑の一人に数えられていますが、その人気は維新三傑の中でも絶大。

今でも多くの人に愛されています。

もちろん明治維新の原動力になったほどの人物ですから、行ってきた行為は綺麗ごとばかりではないはず。

それでも大久保利通や木戸孝允よりも愛されているのは、その人柄と最期の潔さからでしょうか。

そこでこの記事では、西郷隆盛の名言のいくつかをご紹介するとともに、その名言の意味を探り、西郷隆盛の人となりを推察することにしました。

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名言とその意味1 「敬天愛人」

「敬天愛人」は西郷隆盛が好んで揮毫した言葉として知られています。

敬天愛人の意味するところは、「天は自分も他の人たちも同じように愛するのだから、自分も天と同じように人を愛したい」というものです。

明治維新は政治の大きな混乱期。多くの人が血を流していて西郷隆盛自身もそうしたことに加担をしていたはずですが、西郷隆盛は基本的には博愛主義者。

もしかしたら江戸の無血開城もこの敬天愛人の考えが影響していたのでしょうか。

名言とその意味2 「児孫のために美田を残さず」

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子孫のために財産を残すと、子孫はその財産に頼り怠けてしまうので、自分は財産を残さないという意味のようです。

西郷隆盛は明治維新の立役者として権力もお金も自在になる立場にいました。

しかし生活は質素で、同じ幕末期に活躍した志士たちが権力を奮い、贅沢三昧をするのを苦々しく思っていたと伝えられています。

西郷隆盛は権力やお金に対する欲望が希薄であった。清廉潔白は多くの人に愛される要因になるとは思います。

しかし、別の観点から見ると西郷隆盛は革命者であったかもしれないけど、政治家としては不向きな点があったのかもしれません。

名言とその意味3 「人を相手とせず天を相手とせよ。天を相手として己を尽くし、人をとがめず、わが誠の足らざることを尋ぬべし。」

人は無私ではない。そのため、何かことを起こすのであれば感情や欲望の心を持たない天を相手にするべきである。

天を相手にベストを尽くすのが大切なことである。

その心をもって事に当たれば、思いどおりにいかなくても人を責める心は生まれないし、その原因は自分の誠が足らなかったことが原因とわかるであろう。

人は失敗するとどうしてもその原因を自分以外に求めてしまいます。でも、それでは人としても成長することはできません。

自分自身の中にある無私の心で事にあたることができれば、失敗をしても次につながるという意味でしょうか。

西郷隆盛の名言の中でも、特に耳に痛い言葉です。

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名言とその意味4  「命もいらず、名もいらず、官位も、金もいらぬ者は、始末に困るものなり。しかし、この始末に困る者でなければ共に国家の艱難を救うことは難しい。」

自分の命や名声、役職やお金も欲しがらない。 つまり何の欲望も持たない者は、普段はとても処遇に困るものである。

しかし、一旦、国家の危急存亡に当たるときは、そうした者でなければ国の危急を救うのは困難である。

この言葉は普段の生活を送っている人には決して当てはまらないような大きな意味を含んだ言葉です。 もしかしたら、この言葉は西郷隆盛自身のことではないだろうか、そんな気がします。

名言とその意味5 その他

西郷隆盛は事績だけではなく、その風貌や性格から今でも多くの人に愛されています。 そのため、西郷隆盛にはまだまだ数多くの名言が残されているようです。

そのいくつかを簡単にご紹介すると、

「凡そ思慮は、平生黙坐生死の際に於いてすべし。」

「人は、己に克つを以って成り、己を愛するを以って敗るる」

「急速は事を破り、寧耐は事を成す。」

などがあります。

もちろん、西郷隆盛の名言は他にも数あるかもしれませんが、今回はこのあたりにしておきたいと思います。

最後に 名言ではないけれど

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最後に西郷隆盛の有名な言葉を2つご紹介します。 どちらも名言とは言えないかもしれませんが、西郷隆盛の覚悟のほどが知れる印象深い言葉です。

「短刀一本でかたづきもす」

これは王政復古の大号令が発せられた直後の小御所会議でのことです。 小御所会議では政権を返上した徳川慶喜の処遇を巡って大論争。

一時は徳川慶喜を重く用いようとする山内容堂が優勢となりましたが、これに反対する西郷隆盛が発したのが上記の言葉です。

この言葉で西郷隆盛による暗殺を恐れた山内容堂は沈黙。結果的に西郷隆盛の思惑どおり徳川慶喜の領地返上などが決まっています。

「晋どん、もうここらでよか」

1877年の西南戦争。

その首謀者に祭り上げられた西郷隆盛が鹿児島の城山で自らの不利を悟り、亡くなる直前に発した言葉です。 晋どんとは西郷隆盛を慕って西南戦争に参加した別府晋介。

西郷隆盛は別府晋介の介錯でその一生を終えます。


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