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お栄(葛飾応為)と葛飾北斎親子にまつわるエピソードとは

はじめに

この記事では、お栄(葛飾応為)と葛飾北斎親子にまつわるエピソードのいくつかをご紹介していきます。

お栄(葛飾応為)と葛飾北斎は親子。

葛飾北斎が父で、お栄(葛飾応為)は葛飾北斎の娘という関係になります。

葛飾北斎は今でも有名ですが、その作品だけではなく数多くのエピソードが残されている事でも知られています。

また、お栄(葛飾応為)はそれほどの知名度はないものの、葛飾北斎との関係でいくつかのエピソードを残しています。

葛飾北斎とはどのような人物だったのか。

娘のお栄(葛飾応為)とはどのような人物だったのか。

そして、お栄(葛飾応為)と葛飾北斎親子にはどのようなエピソードが残されているのでしょうか。

葛飾北斎とは

葛飾北斎は、1760年に生まれ、1849年に亡くなっています。

生年は不確かなようですが、それでも90歳前後の長命であったことがわかります。

葛飾北斎は、江戸時代における代表的な浮世絵師として「富嶽三十六景」や「北斎漫画」などの作品が知られています。

葛飾北斎は、その生涯で2度の結婚をしています。

最初の結婚の場合、妻の名前だけでなく生没年なども分かってはいません。

ただ、葛飾北斎と最初の妻との間には一男二女の子がいたと考えられています。

2番目の結婚の場合、妻の名前は「こと」と伝えられていますが、生没年はやはり明らかではありません。

葛飾北斎とことの間には、一男二女の子が生まれます。

そして、葛飾北斎とことの間に生まれた、最初の女児がお栄になります。

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お栄とは

お栄は葛飾北斎にとって第3女になります。

もっとも、お栄の生没年は明らかではありません。

お栄は長じて絵師南沢等明と結婚をします。

しかし、お栄ははっきりとものを言う性格。

そして、お栄自身も絵を描いていて、その画力は夫である南沢等明より上。

お栄は南沢等明の絵を馬鹿にし続けていたことから離婚をすることになり、離婚後は父である葛飾北斎と同居をすることになります。

それでは、お栄(葛飾応為)と葛飾北斎親子にまつわるエピソードをご紹介していきます。

エピソードその1  お栄が葛飾応為になった理由とは

お栄は本名。

葛飾応為は雅号になります。

お栄がいつから葛飾応為になったのかは明らかではありません。

また、お栄がどうして雅号を葛飾応為にしたのかについてもいくつかの説がありますが、一番有力なのは葛飾北斎がお栄を呼ぶときの言葉が「オーイ」であった。

お栄は「オーイ」という呼びかけをそのまま雅号とし「葛飾応為 かつしかおうい」にしたと言われています。

絵師にとって雅号はとても重要なもの。

その雅号を「オーイ」という呼びかけから「応為」にした。

葛飾応為は、とても風変わりな人物であったようです。

エピソードその2 度重なる引っ越し

葛飾応為は離婚後、葛飾北斎と同居をすることになります。

ところが、葛飾北斎も葛飾応為もあることが共通をしていました。

葛飾北斎も葛飾応為も絵師としての実力は抜きんでていました。

しかし、葛飾北斎も葛飾応為も片づけられない親子。

葛飾北斎も葛飾応為も食事を作ることもなく、基本的には外から買ってくる。

そして、掃除が嫌いで食べ終わると包みの竹の皮などを放置したまま。

そこには、くもとか虫がはびこる。

葛飾北斎と葛飾応為の住む家は、すぐにごみ屋敷になってしまいます。

葛飾北斎と葛飾応為も掃除ができない親子でしたが、ごみ屋敷になると夜逃げ同然で引っ越し。

葛飾北斎は、同じ家に1年以上住んだことはないと言われていますが、実際にその生涯で90回以上の引っ越しをしたと言われています。

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エピソードその3 葛飾応為の画力

葛飾応為の作品で現存しているものは僅かしかありませんが、その画力については父の葛飾北斎も認めています。

葛飾北斎曰く「美人画はお栄にはかなわない」は、今でも有名です。

ところで、葛飾北斎は約90歳まで生き、晩年まで絵筆を握り続けていたと言われています。

しかし、葛飾北斎の作品と伝えられている美人画の中には、葛飾応為が手掛けたものが多いとも言われていて、その傾向は葛飾北斎の晩年に特に顕著だったとも言われています。

真偽のほどはさておき、このようなエピソードからも葛飾応為の実力がうかがい知れます。

エピソードその4 葛飾北斎の死後

葛飾北斎は、1849年に亡くなります。

葛飾応為は父である葛飾北斎が亡くなると、門人や親戚縁者のもとを転々とするようになります。

しかし、その後は「仙人になる」と言い残し、消息を絶ってしまいます。

そのため、葛飾応為は知られた存在で歴史的にも最近の人物であるにも関わらず、生年だけでなく没年もはっきりとしていない不思議な人物です。

さいごに 葛飾応為の作品


 

 

 

 

 

 

 

葛飾北斎の代筆をしたことも多かったと言われる葛飾応為は、作品数がとても少ないことでも知られています。

ただ残された作品は秀逸なものが多く、光と闇を見事に表現した作品は、「江戸のレンブラント」とも讃えられています。

※ レンブラント(1606年~1669年)はオランダの画家で、光と影が際立った作品を数多く残しています。

この記事の最後に、葛飾応為の数少ない作品の中で日本の博物館が所蔵する作品3点を簡単にご紹介をしていきます。

葛飾応為の作品1 月下砧打美人図(げっかきぬたうちびじんず)

月下砧打美人図は、東京国立博物館(東京都台東区上野公園13番9号)が所蔵する紙本著色の作品です。

作品としては見事な出来ですが、葛飾応為としては比較的初期の作品。

色遣いは抑制的で、光と闇を見事に表現した作品という境地には達していないように見受けられます。

葛飾応為の作品2 吉原格子先図(よしわらこうしさきのず)

吉原格子先図は、浮世絵 太田記念美術館(東京都渋谷区神宮前一丁目10番10号)が所蔵する紙本著色の作品です。

吉原格子先図は、葛飾応為の代表的作品で美人画ではありませんが、光と影が見事に表現をされています。

葛飾応為の作品3 春夜美人図(しゅんやびじんず)

春夜美人図は、メナード美術館(愛知県小牧市小牧5丁目250番地)が所蔵する絹本著色の作品です。

春夜美人図は、夜の暗闇の中で灯篭がほのかに周囲を照らし、灯篭の傍らに美人が描かれています。

葛飾応為の得意な美人画。

さらには光と影の丁寧なコントラスト。

春夜美人図は葛飾応為の特徴を如実に表した代表的な作品と言えそうです。

なお、葛飾応為の作品は常に展示をされているわけではありません。

葛飾応為の作品が展示されているのかどうかは、それぞれの博物館に確認をする必要がありそうです。


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